KGK == Keiji KOSAKAさんの<bo00rh$s91$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>>> 「関係がある」ってのと、「その結果正当性がどの程度損なわれるか」っての
>>>>> は別問題じゃん。
>>>>> 関係した結果、どういう理由で正当性のどの部分がどのように損なわれるんで
>>>>> すか?
>>> 
>>>> 「目的が正しければ正当化される」が誤りであることは正当防衛と過剰防衛の
>>>> 違いを考えれば明らかですよね。当然ながら「手段」の正しさも問題になるわ
>>>> けです。
>>> 
>>> という話に持ってきたということは、
>>> 
>>> <3f47cae4$0$254$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>:
>>> | 繰り返し申し上げている通り、それ(自己棚上)は「目的の正当性」にかかわる
>>> | 「行為の行われた状況」であると言えるでしょう。
>>> 
>>> というのを説明するのを諦めたってことかな?
>
>> 常識的に考えれば、当該行為を行った際に用いられた「手段」が「行為の行わ
>> れた状況」に含まれるであろうことは明白だと思いますが、如何ですか?
>
>常識的に考えれば、「手段」ってのは「目的の達成のために行なうこと」であっ
>て、「状況」と呼べるようなものじゃないですね。
># むしろ、「行為」の実体そのもの。

1.空き缶をポイ捨てする
2.吸殻をポイ捨てする
3.吸殻のポイ捨てを批判する
4.自己棚上げで吸殻のポイ捨てを批判する
と「行為」と呼べるものが幾つもあって「目的」と呼べるものも同じだけあ
る。ってのが詭弁の温床になっているような気がします。
気を付けて区別しましょう。

つまり、
自己棚上げを構成する主要な要因である当該行為1をなす際に用いられた「手
段→行為の実体そのもの」が全体的最終的な行為4が「行われた状況」に含ま
れるであろうことは明白だと思いますが、如何ですか?
ってことですね。


>>>> 従って、「消火する」という目的(もちろんこれは「世間の賞賛を浴び内心の
>>>> 満足を得る」という最終目的の一部に過ぎないのだが)を達成する為に選択し
>>>> た手段が
>>>> 1.毎日町内をパトロールして事件への即応体制を維持する
>>>> 2.自ら放火しておいて、何食わぬ顔で現場に現れる
>>>> の何れかによって正当性が異なるのは当然でしょう。
>>>> 違いますか?
>>> 
>>> それって、「消火する」という行為の手段じゃないでしょ?
>
>> 「放火して消火する」という行為、あるいは「世間の賞賛を浴び内心の満足を
>> 得る」という目的を達成する為に為される*行為の手段*ですね。
>
>だから、「ある状況下で消火する」という行為の手段じゃないよね?

「ある」=「自分で放火した」なら「ある状況下で消火する」=「放火して消
火する」ですし、そうでないならそうではない。当たり前の話ですね。
#「リンゴ」について言えることが「果物」に一般化した場合にも言えるとは
#限らないですね。

>私は、「放火して消火する」というのを一つの行為と見倣した場合の評価なん
>てのは一度もしてません。
>何を議論してるのか混同してるのでは?

それは単なる「したくない」「無視している」「見えない見えない」なのでは?
私自身は状況を無理矢理切り出して一般化すること自体は不可能ではないと
思っていますよ。ただ、一般解で特殊解を説明することはできないから無意味
だ。と言っているだけ。


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wacky