正当性が確認されない限りは消火活動をしてはいけないんだろうか?

Miyasunさんの<bgiure$hjo$1@cala.muzik.gr.jp>から
>"wacky" <wacky@all.at> wrote in message
>news:3f2bccbe$0$258$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp...
>> >で、「褒めるべきか」って話になるんですが、別に義務じゃないよね。
>> >「褒めてもいい」ってぐらいの話で。
>>
>> 話を摩り替えないでね。^^;
>
>おいおい…
>正当性の話に勝手に「褒めたたえる」とかわけわからない事を言い出し
>ておいて、関連は薄いと言ったら「摩り替えないで」ですか?

*何の*正当性の話ですか?
#「消火する」ことの正当性か?そんな話はしとらんと思うけど?

そして今現在は何の話をしていますか?
ちゃんと把握した上で嘴を挿んで欲しいものです。


>> 単に「消火活動をした」だけなら、それは「誉められて当然の行為」だよね。
>
>「褒められて*当然*」ではないです。

はいはい。^^;
じゃ、「褒められるべき行為」だよね。で良いですかね?
#ポイ捨てに戻るなら「批判されるべき行為」に相当するでしょう。

私が言ってるのは至極簡単な話。

A. 一般的理解:
単に「消火活動をした」のであれば、それが「褒められるべき行為」であると
することに反対する者は恐らく存在しないだろう。そしてこの予測は目にする
ことが可能な事実に良く一致しているだろう。

B. KGK氏の主張1:
たとえ「自分で放火活動して自分で消火活動した」であろうと「放火」と「消
火」は別けて考えなければならない。と述べている。

C. KGK氏の主張2:
「自分で放火活動して自分で消火活動した」場合については、「(褒めること
は)別に義務じゃない。褒めてもいいってぐらいの話」と述べている。

Bが正しいと仮定すればAとCが一致しないのは明らかな矛盾でしょう。
#因みに、現在までの所、KGK氏がAに明確に反対したという事実は存在しない
#ものと思われます。



<余談>

>そもそも「正当である」かということと「褒める」という事に直接的な
>関係はありません。正当な事をしても評価されなければ褒められません
>し、不当なことをしても、それが利益に繋がるなら褒められる事もある
>でしょう。

少なくとも私はそんな状況依存の話はしていません。

>関連があるとしても「褒めてもいい」という程度のものです。

それこそ詭弁でしょう。
#原理的な問題を個別の選択の問題に摩り替えているわけです。

</余談>



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wacky@批判あるいは賞賛することの正当性の話でしょ