KGK == Keiji KOSAKAさんの<bcemre$7d1$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> ところが、「撃ち殺すという行為だけ取り出せば悪いことである」というのが
>>>> KGK氏に代表される主張ですよね。
>>> 
>>> いいえ。
>>> 「撃ち殺す」という行為の評価をするのなら、そういう行為に到った事情を考
>>> 慮するのは当然でしょう。
>
>> #で、あるなら、「消火する」という行為の評価だって行為に到った事情(つ
>> #まり「放火」ですな)を考慮するのが当然でしょう。
>
>そうですね。
>
>> #しかし、KGK氏は「自分で放火して自分で消火する」に関しては正反対の主
>> #張をしていますね。矛盾してませんか?
>
>「消火」という行為の性質を鑑みて、「自分で放火したか否かにかかわらず消
>火するということ自体は正しい」と結論付けてるわけです。
>一方、「放火」という行為に関しては、「たとえ自分で消火するつもりにせよ、
>放火は悪い」と結論付けるわけ。

グルグル回ってるけど…。^^;

じゃあ何で「撃ち殺す」だけは「正当防衛か否かにかかわらず撃ち殺すこと
は正しくない」にならないの?

<念の為>

ここで「放火」は行為だけど「正当防衛」は行為ではないという反論があるか
もしれない。
しかし良く考えれば分かるはずですが、「自分で放火して自分で消火する」と
表現したからといって「放火」という行為そのものに「消火」という別の行為
を重ねられるわけがありませんよね。結局の所、それは「自分が放火したとい
う事情がある現在燃え盛っている家」を「消火」するという単一の行為に過ぎ
ないわけです。
#「属性であり切り離せない」と繰り返し述べた通り。

</念の為>


>> 通常想定される社会的人間であれば「自ら行為Aを行う」という事情があれば
>> 「他者の行為Aを批判する」といった行為は行わないでしょうし、
>
>ほら、人の評価にしてる。

だ〜か〜ら〜、^^;
何処に「社会的人間という人」が居るんですか?
#単なる抽象概念に過ぎないのに…。


>> 実際に行っ
>> た場合は政治家であろうとなかろうとそれ自体が非難の対象となるでしょう。
>
>非難の対象になるのは「自ら行為Aを行う」ということですね。

うんにゃ、
非難の対象になるのは「「自ら行為Aを行う」という事情がありながら「他者
の行為Aを批判する」」という単一の行為です。

>「他者の行為Aを批判する」というのは「行為Aが悪いことであると知ってる証
>拠」となって、「自ら行為Aを行う」ということに対する評価に影響するわけ。

だから、「行為A」の犯罪性は余り関係ない。「俺は良いんだ、お前はダメ」
が問題なわけです。同様の属性を持つならBだろうとCだろうと…。

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wacky