河野真治 @ 琉球大学情報工学です。

In article <lvxid.159$EZ2.124@news1.dion.ne.jp>, 5470k0 <m4r1mur4@d2.d10n.n3.jp> writes
> 量子力学的実在は微分とは無関係だけれども、われわれが
> なじんでいるデカルト座標的な宇宙の描像に合わせるために、
> 微積分による表現が使われている…、というように理解し
> ました。

ま、そんな感じ。

> 時空間も、そこで起こる運動の様子も微分的な構造を持ってい
> ると、認めているように読めるのですが。

それは、「微分的構造とは何か」ってことを考えることですよね。
つまりは微分って何ってことです。それは、速度とか加速度、そし
て、回転とかを考えるってことです。
    limit Δx/Δt
ってのがあるから、稠密や連続性が入っているわけですよね。

> つまり、量子的実在は
> 量子化されているのだけれど、その「入れ物」である力学的宇宙
> (時空間)はそうではないということなのでしょうか。

それは、かなり外れてますが...

   人が持つ、力学的な直観や時空間的な直観は、微分の概念を含んでいるが、
   量子力学的な直観には、含まれてない

ってことだと思います。

時空間も観測対象なので、もちろん量子化されているんです。けど、
場の量子論とかでは、ちょっと後退して、座標そのものは表現とし
て固定しようってな感じで、そこには、既に連続な座標系ってのが
入ってます。

> でも、それをみとめてしまうと、ボルンの相対論批判(「相対性
> 理論は、無限小の長さを有限の長さで置き換える様に修正される
> べきであるように思われる」)は、おかしなことになってしまい
> ませんか。

そんな古いもの持って来られても... あの頃って、まだ量子力学が
良くわかってなくて、「もしかして物理は離散的なモデルを持つの
かも。でも、それは相対論とは両立しないなぁ」とか考えていたん
でしょう。

今は、どちらかといえば、量子力学は、

     f(前の観測状態,今度の観測状態)

の f の性質を調べることだとわかっていて、連続状態や離散状態
が出て来るのは、状態の表現の任意性から来るんだと理解されてい
ると思います。(f の性質とは、例えば、すべての可能な状態を
考えれば確率1だとかです)

p (運動量) と x (位置) (あるいは、e(エネルギー) とt(時間)) 
は、同等な変数であり、離散固有値を持つ場合に、どちらを離散値
にするかは自由です。離散値を持つかどうかは、離散固有値を持つ
かどうかで決まり、それは、観測に相当する演算子(オブザーバブ
ル)(さっきのf)の性質から決まります。逆に、観測状態を離散値っ
て決めて、f を考えても良いわけです。

僕は、相対論つまりローレンツ共変性は大域的に要求されているわ
けではないので、離散表現を持つ場合には、ローレンツ共変性は別
な形で現れる(結果だけはローレンツ共変/相対的になる)のだと思
います。

僕が読んだ古い場の量子論のスピン1の理論ではそんな感じでした。
スピン1の理論では、ローレンツ共変なゲージを採用することはで
きなくて、一旦、特殊な座標系のゲージを採用して計算するけど、
得られた結果は、ローレンツ共変になっているとか中西先生の本に
はあったかな。

---
Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus
河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科