河野真治 @ 琉球大学情報工学です。

In article <3fb91cfd_4@news.premium-news.net>, "J_Saita3 premium" <J_Saita3@hotmail.com> writes
> 話を変えましょう。

変えちゃうんですか? ちなみに議論したいのはなんなの?

> 記号という様相(モデル)に置き換えることで自然言語での限界を論理的に、数学的
> に解明しようとする立場はあるにはあるが、いくら駆使したところで、事実から価値
> を演繹できるわけではないでしょう。自然主義の誤謬は、価値が経験的事実に還元で
> きるとする価値一元論の立場だとおもいます。

それは、どういう価値を導出したいのかによるんじゃない? 還元主
義がうまくいく部分もあるし、いかない部分もあります。

事実に還元しない部分での 議論は恣意的な部分が残るのは仕方な
いし、ある意味で、なにやっても良いんだよね。一般意味論は、そ
のどうでもいい部分での議論でしかないと思う。

> 河野さんは、「価値判断は事実判断に還元できるか否か」という設問に対して、どう
> いう立場なのでしょう。「主観説」と「客観説」に分けたとき、客観説の立場のよう
> ですが。客観説をとるなら、自然主義と直感主義のいずれかだが、自然主義?。自然
> 主義なら還元論の立場。

単にラベル付けてているだけだなぁ。残念ながら、なんにでもうま
くいく自明な方法があるわけじゃないです。記号論の限界があるし、
人間の限界もあるし、量の限界もあるし。

> 外延は記号外在的な事実への考慮を要求するが、内包はそうは行かない。内包ともな
> れば、記号論理学での分類はできても内包そのものの価値は、価値の前提を必要とす
> ると、二元論の立場からはいえますよね。

外延だって量が多いと厳しい。内包は人間が想像したもの。外延の
方が現実に近いわけだけど、膨大かつ複雑。

> 結局、メタ・フレームということになるのじゃありませんか。超越・・・。
> ここには価値の前提群が想定されている。入力に価値がなくても、構造に価値の前提
> があれば同じこと。これもまた、事実への還元とはいえない。

超越帰納法ってのは記号論的な集合のモデルを使った方法なので、
メタ・フレームとは少し違います。

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Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus, 
河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科,