判例
佐々木将人@函館 です。
>From:Fuhito Inagawa <fuhito@za.ztv.ne.jp>
>Date:2004/03/17 07:08:43 JST
>Message-ID:<c37tt3$2d9$2@news.mirai.ad.jp>
>
>> という方向性は
>> やはり(その他の)読者に誤解を与えかねないものだと思うのですよ。
>
>その点は認めざるを得ませんが。
この点について認めていただければ
後は楽ってもんです。
稲川さんの今回の投稿は
「Aという主張をしたい」という目的ではなく
「Bという主張を否定する」という目的に向けたものであり
それに対し(私は)若干誇張が入ったと感じていて
さすがにその誇張はやばいんじゃないのと指摘したものと
私は理解しておりますので
そのチェックを入れることで「Bという主張」を肯定するもんじゃないし
それは充分読者に伝わっていると思います。
というので以下はある意味余談だと思うのですが……。
>正解かもしれないけれど、やはり「誰がやっても同じ裁判」という
>期待からはどうしても拭えない矛盾を感じるとおもうんですがね。
まず確認ですけど
「誰がやっても同じ裁判」という期待については
異論がないですよね。
実はここに異論を唱える人はいるし
この点について諦めちゃっている制度もあるものですから。
で、この期待に対し
現実には全く矛盾する判決は出ているし
全く矛盾するかのように見える判決もまた出ています。
古典的な例だと民法712条について
11歳11か月の子供に責任能力を認めた判例
(大正4年5月12日大審院判決)と
12歳2か月の子供に責任能力を否定した判例
(大正6年4月30日大審院判決)
がありますし
最近の例だとまだ判例と言えないけど
たしかゲームソフトの中古販売について
東京と大阪で反対の結論が出た例がありました。
だけどそういう違った判決が出るからと言って
「判決と判決が矛盾することがあります」
ということからは何も導き出せないのに
何かを導き出そうとする時点で実は誤りな訳でしょ。
正確に言えば
「判決には相互に矛盾がない」と根拠なしに思い込んでいる人に対する
その根拠のなさを指摘する機能はあるかもしれないけど
それ以上の意味はありませんな。
「そりゃあ矛盾することはあるでしょ?それがどうしたの?」
という話な訳だ。
それはなぜか?
前にも書いたけど判決の拘束力には法的拘束力と事実上の拘束力とがあって
法的拘束力の場合には
矛盾というのはほぼ発生しないと言っていいし
仮に本当に矛盾であれば法律上の解決策が用意されています。
(上級審の判断は下級審を拘束するし
法的な拘束力は既判力の範囲でしか及ばない。)
だいたいが先例拘束性がないんだから
異なる結論の判決を出してもそれ自体が法的に問題になるというのは
原理的にはおかしいのです。
矛盾と言えばたいていは事実上の拘束力の問題。
事実上の拘束力であればその強弱は当然存在するし
強弱によって矛盾は解消されますな。
法律上判決間で矛盾が生じることがあっても
それは法律上そういうふうになっているからで
法律上そうなっていることを根拠に何か導き出そうとしても
そりゃあたいていは変な立論になります。
それが
「誰がやっても同じ裁判」という要請に反するか否かは
単純に矛盾があるか否かで決まるんではなく
その違いに合理的な理由があるか否かが重要なんでしょ?
もしここで「違っていること自体が問題」と言うのであれば
それはやはり感情論にすぎないし
(違ってること自体が悪いという合理的な理由が示されれば
また話は違うだろうけど……。
そういう合理的理由は示されてませんな。)
感情論は共感を呼ぶことはあっても
理性的な賛否とは全く別物ですし……
……そもそも法によって律しようって発想自体
理性に対する信頼な訳で
法の議論で理性を否定してどうすんの……。
そこで合理的な理由の有無だけど
上記責任能力年齢の話では
11歳11か月の事案はその子供の労働中に被害を受けた事案で
雇い主の責任を認めるためには責任能力の存在が要件だったし
12歳2か月の事案は子供が遊んでいる時に被害を受けた事案で
親の責任を認めるためには責任能力の不存在が要件だったため
監督者や親の責任を認めるために異なる事実認定をしたと
されていますわな。
(内田貴「民法II」初版だとp369)
これをベースに
「そういう操作はいかがなものか」と批判するのはあると思うし
解釈としては仕方ないけど立法的に解決すべきだというのもあると思うし
そもそも個別の能力で議論すべきだから年齢で一律に議論するのがおかしい
というのもあると思います。(実は私個人は最後のノリ。)
だけどこういう細かい検討をしないで
単純に「判決同士が異なることがあります」だとか
「判決が矛盾するのがけしからん」だとか言っても
それは単なる感情論だと思いますよ。
判例変更だって同じですよ。
「判例は変更されることがあります。」
……だから何?
「判例は絶対じゃありません。」
……だから何?
大事なのはその判例がどの程度の強さを持っているかどうかであって
「判例は絶対じゃないから判例は考えなくてもいい」
なんて議論に行くのはこれは間違いな訳でしょ?
……それこそ言葉の遊びやん。
>すくなくとも判決を書くのに「過去の判例」を
>参考にしたくても過去に判例の無い場合であっ
>ても裁判は出来る訳ですから。
それは無関係。
なぜなら「誰がやっても同じ裁判」という期待の中には
「同じ事例なら同じ結果になる」というのも含まれているはずです。
そうすると過去に判決があるのとないのとでは
一般市民の将来に対する予測という点で
大きな違いになるはずです。
例えばパックマンってゲームに似たゲームを作って売った場合に
「似たゲームを作って売ると損害賠償義務が認められちゃいますよ。」
って判決がある時とない時では
一般市民の行動原理も変わって来るはずです。
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cal@nn.iij4u.or.jp 佐々木将人
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ルフィミア「まさと先輩、今年もよろしくお願いします。」
まさと「振袖着れるようになったの?」ルフィミア「はい。勉強しました。」
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