山口です。

>> 何をもって"建設的発展的"解法と呼ぶのかが不明確ですね。
>> 例えば、某自動車会社の欠陥隠しも会社経営上の"建設的発展的"解法の一つで
>> あったと云えましょう。
>> 欠陥を指摘した社員は、wacky さんであったと云えましょう。
>> 
>> 問題は、事が起きてから蒸し返されるのです。
>> 
>> では、どうしたら良いのでしょう?議論しかありませんね。
>> 「なかよしクラブ」を持ち出した人は、議論を捨てましたか?

寄付募集に対する指摘は、喩え危惧すること(怪しい団体の寄付募集
記事投稿や寄付します宣言記事投稿)が起きたとしても、それに深刻さ
を感じないんですよね。

何故かって? それは怪しくてきっと寄付しないから。もし寄付して
失敗したとしても自己責任。

対して某自動車会社ってのが三菱ふそうの話なら、そりゃ起こる結果
は深刻です。起きてからでは取り返しがつかない。それに対する指摘
は説得力があります。起きてからじゃ遅いですね。

翻って、怪しい団体の寄付募集記事はどう深刻なんでしょう?
深刻さが伝わる指摘が欲しい。

P.S.
fj.net.watchの<410f973b$1_5@127.0.0.1>
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の方が怪しいと思う。でも深刻さを感じない。麻痺してるのかな。
10年以上前ならビックリするかもしれんけど。いろんな意味で...。
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 Tadasuke YAMAGUCHI @ Osaka