この冬は事情により11年ぶりに帰省していませんので、初詣も前線基地で行くことになります。
基地から一番近い神社は阿波洲神社ですが……ここ、上保谷新田ですから、境界ぎりぎりのところとはいえ田無に居る身で、ここを鎮守と考えるのは何か違う気がします。でも田無市と保谷市が合併してからでも10年以上経ちますし、自治体や大字が違うからということに拘るような御時世でもない気がしますし(明治神宮とかに参詣している人はどうなるやら)……
……ということで、いっそ両方行くことにしました。
阿波洲神社はまるっきり住宅地内にあるのですが、それでも元々保谷村の村社であり、今日でも女性を中心に信仰を集めていると聞いています。実際、20人前後の人が集まっていました。
田無神社は青梅街道沿いにあり、田無宿内です。市内最大の神社ですので、予想通りかなりの人出がありました。参道を超えて青梅街道にまで列が続いていましたし。そして、阿波洲神社には無かった出店も多数。……小学生以下としか思えない子供をこんな多数出歩かせるのってどうかと思うんですけどね。まだ早いでしょ、そして東京都条例に抵触する筈。
社務所で「交通安全」ステッカーと「旅行安全」御守りを頂戴しました。旅行安全って、実にピンポイントですね。今までの御守りを鷲宮神社で正式にお焚き揚げするまで、この御守りを使います。ステッカーは……自動車のフロントマスクとかに貼ることを想定しているようで、かなり大きいです。フレームには貼れませんから、フロントキャリア底敷かなあ。
なお、田無神社には巫女さんが10人以上常駐されていましたので、お好きな方はどうぞ(何をだ)。
田無から西武新宿線急行(30000系)で高田馬場、山手線外回り(E231系600番台)で池袋、埼京線快速(E233系7000番台)で武蔵浦和。叔母の家を経由して、亡き叔父の墓参りをして参りました。墓地は川越なのですが……清めている間、ふと見たら、ほんの僅かではありましたけど、雪が降っているではありませんか。寒い訳です。
与野のイオンを物色してから叔母の家へ戻り、色々と話し合った後、同じ経路(E233系7000番台、E231系500番台、20000系)で帰宅。さて明日からは?
朝4時には起床し、即座に朝食。なんだかんだでまた時間がかかり、家を出たのは5時過ぎ……も、もうちょっと早くしようよ。
武蔵境から中央本線各駅停車(E233系0番台)で東京……
東北新幹線・田沢湖線・奥羽本線直通特急こまち1号(E6系Z19編成)に乗ります。切符は昨日確保しました。流石に年明けてからの下りはガラガラですね。
お約束の武蔵浦和。
10月のCAJで眺めた磐梯山。すっかり雪化粧ですね。郡山市内は全然雪ありませんけど。
ところが、福島トンネルを抜けて福島市街に来たら、こっちはしっかり積もっている……どころか吹雪いているのでした。山ひとつでえらい違いですな。
仙台市街はまた雪なしです。ここは完全に太平洋岸ですしね。
古川に近付くと、また雪どっさり。……例の「怖い橋」の撮影には失敗しました。連射機能、未だに使い慣れない……
盛岡もそれなりに。ここは山が近いので(良い写真がありませんが)、雪に覆われた奥羽山脈を見つめることになります。なお、岩手山は雪より雲に覆われていて、まったく見えませんでした。
流石に仙岩峠の中枢部は豪雪でした。それでも遅延しない優秀な路線です。志度内信号場で、上り特急との交換待ちのため運転停車しました。
田沢湖、角館、大曲と下って行くにつれ、雪は少なく……あまりなってない気がします。流石に和田(ぎりぎり不停車)まで来ると、少し減った気がしました。定刻通りに秋田駅到着です。
秋田駅前はこんな感じ。雪は降ってますし、足下は凍ってますけど、流石に人通りのある所では歩きにくいというほどのことはありません。無理してスノトレ履いて走って来た甲斐がありました。
で、早速何をするかと言うと……
久保田城本丸へ行って、与次郎稲荷神社で初詣です。旅人として与次郎稲荷神社の氏子のつもりでいる私は、ここへ来ずには居られません。今日の旅は、目的の半分近くがここだったりします。なお、八幡秋田神社は敢えて参拝していません。
本丸南西隅に、本丸地平より高い塁上、多門長屋跡と同じ高さで平場が広がる一角があります。ここは出し書院跡で、城下からも目立つ櫓座敷が建てられていた場所です。初期の久保田城には三階櫓があったと記述されている史料があるのですが、当時の絵図は伝わっていないため真偽は判りません。ただ、もし本当に三階櫓があったのなら、ここだろうと推測されています。
出し書院跡から南方を見下ろすと、二ノ丸帯曲輪にある「宣庵」という喫茶店が見えます。流石に今は営業していませんね。ここの庭にある舟型手水鉢は、加藤清正が朝鮮から持ち帰ったものを、初代藩主佐竹義宣が石田三成から贈られたと伝えられています。
埋門から西帯曲輪、更に西曲輪跡(ほとんど痕跡もありませんが……)の桟橋っぽいところを抜けて、南内堀の脇へ。明徳館が閉館していることを確認して、広小路に戻りました。さて、駅ででも昼食を摂りましょう。駅手前で身内と遭遇してしまいました。ま、まずい(汗)
食後、ジュンク堂にて後で買うものを物色したりしてから、再出発します。今度は長沼を経て大堰端へ。
大堰端沿いだと目立つのは、秋田市立南中学校、そしてその向かいの築地下東町にある湊家ですね。湊家は秋田市有数の大地主で、今は見る影もありませんが、ボロボロになりつつもなお健在の蔵、大松、薬医門が往時を偲ばせます。
大堰端の大通りが楢山広小路に突き当たる箇所は、左手にY字路が続いています。ここは久保田城下町が東側へ少しはみ出す場所で、右手の道を境に右側は楢山枡取町、左側は楢山村字宮田です。……冬はこうやって、解説柱がちゃんと読めないんだよなあ。後でまた来よう。というか、旧町名解説柱を全部辿る旅とかしてみたい。
枡取小路を無視して更に少し直進すると、左手に大堰端の続きである暗渠の上の遊歩道が続きます。すぐ先で太平川に注いで終わるのですが、遊歩道をそのまま歩いて百石橋を渡り、対岸を歩くと、暗渠の末端が見えます。この大堰は、かつての長沼を水源とする用水路兼排水路で、昭和初期までは旭川とも繋がっていてかなりの水量があったようですが、高度成長期に生活排水が流入して急速に水質が悪化したため、暗渠化されました。今は……流れてないんでしょうかね?
適当なところで再度太平川を渡って北側へ戻ろうと思ったのですが、金照寺山を越える道が見付かりません。うろうろしているうちに、金照閣踏切から土取場踏切の付近で、701系電車の通過を見送りました。時刻表を見るに、東能代発酒田行の546Mですね。
金照寺山の北側を回れないかな、と思ったのですが、民家に阻まれて太平川まで行けませんでした。道は愛宕神社に突き当たって終わり。ここ、楢山愛宕下の名の由来でしょうね。折角ですからここにも参拝しておきます。何故か参道の途中に工部省の境界柱があったのですが……奥羽本線建設時に参道を動かしたとかでしょうか?
土取場踏切に戻る直前にある階段から、金照寺山へ登ってみることにしました。途中から中通方面が良く見えます。
山腹台地上の道は、北側が楢山字寺小路(現・楢山金照町)、南側が楢山字大田沢(現・楢山城南町)です。寺小路側の民家の軒先で、雪融け水が樹木に掛かって蝉っぽいことになっていました。
大田沢側は崖になっていて、低地がかなり山に入り込んだ地形になっています。これが「土取場」でしょうか?
どうにも袋小路に突き当たってしまうので、いっそ山頂を目指すことにしました。山を越えて北側あるいは東側へ降りる道が……あればイイナ?
山頂です。標高56.1m、三角点があるのですが流石に判りません。北側斜面で地元の子供達が遊んでいました。……で、道があっても判らないんですよ。来た道はその子供達も来たところですから踏み跡があるんですけど、それ以外は道なのかただの崖なのか。里山で滑落しても楽しくありませんから、素直に戻って別の道を探しましょう。
結局更に迷ったんですけど、犬の散歩で東側から登って来る人がいたため、その人の踏み跡を辿ることで下山することができました(一回、城南中学校の裏手に行ってしまったけど)。そこは金照寺山と一つ森の間の堀割を越え、秋田車両センターの上を跨ぐ、跨線橋の手前でした。ふむ、こう繋がるのね。
跨線橋の上から車両センターを眺めていたら、丁度通りかかった701系5000番台(標準軌を走っています!)やE6系(こまち28号の秋田駅送り込みか?)の走行中を見ることもできました。今日はタイミングが良いですね。
午前中にE6系車内からも眺めた富士山。今度は才八橋から眺めます。アパートを挟まずに撮れる良い場所は無いものかな……また雪が融けたら。
未明から雪掻き。初詣と並ぶ、第2の目的がこれです。ただ、昨日雪降ってはいたけど、量としては大したものではなかったので(本気で吹雪いたら金照寺山で遭難できる)、積雪も少しだけでした。多分、掻かなくても何とかなったんじゃないかな。この後、2・3日後にはまた暴風雪が予報されているので、その頃だったら本当に雪掻きが必要になったと思うんですけど。取り敢えず、玄関先と車庫前は極力除けるようにしました。
朝食を済ませてから、荷物抱えて外出。取り敢えず中通周辺を歩いて……
伊藤学園の柵の中に、土手谷地町の解説柱を発見しました(写真は柵の内側へカメラを突っ込んで撮影)。中谷地町より西の道路はほぼ藩政期の位置を保っているんですけど、長野町と土手谷地町は町割が破壊されているため、この場所も正確に土手谷地町ではないでしょう。ただ、地形としては、長野の高台の痕跡が残っていること、今回も随所で認識しました。
伊藤学園のすぐ西に土手谷地街区公園があります。ここは江戸時代末期の思想家・平田篤胤の生家である大和田家の所在地です。平田篤胤は当時に於いては迫害を受けたのですが、その門人が中心となって尊王思想を広めたことが、戊辰戦争で久保田藩が新政府に与した理由になっているという説があります。……後付けのような気がするんですけどね。戦後に新政府の中でも色々と肩身の狭い思いをした久保田藩士が、自分達の正統性を歴史も含めて主張したような気がして。
うろうろしているうちに10時になったので、最後のノルマとして、アトリオンで400ml献血してきました。……問診担当のお医者さん、貴方こそ健康大丈夫? なんか呂律回って無いよ?(^^;;; 問診自体もほぼ素通しだったし。
献血の景品として、お菓子などが渡されるのはいつもの事なんですが、今回は「ごまあん団子」に「紅白まんじゅう」。……あの、私、小豆苦手なんだけど……。しかも今回は「両親への進物にする」という丸投げができないからなあ。頑張って持って帰って、自分で全部食べるしかないか。消費期限短いし!
想定通りではありますが時間が大量に余ってしまったので、文献調査などしてくることにしました。明徳館は5日から開館なので、県立図書館へ行きます。徒歩でも良いんですけど、たまにはバスも使いましょう。駅から山王方面へ行くバスは比較的数が多いですしね。でも秋田市のバスに乗るのっていつ以来だろう? もしかして市営バスが無くなってから初めてだったり?
公園前から秋田中央交通の臨海営業所行きで県立体育館前まで(260円)。時間が許せばいくらでも調査していたいところではあるんですが、流石にそこまでの時間がある訳ではないので、企画展示されている本を色々読んでから、秋田市史に手を出します。これもじっくり読んでいる時間は無いのですが、以前調べておきながらちゃんとメモを取らなかったので、出典として使えなかった記述を発掘し……見開き5頁を複写してきました。後でWikipediaの記事を更新しておきましょう。
県立体育館から秋田駅前までバスで戻り(260円)、ジュンク堂書店へ。今度はちゃんとおかいモノ。
以上購入。遂に菅江真澄に手を出しました……どこまで読み込めるか。うちトコは店頭で見掛けて衝動買い。年末に出たばかりみたいですね。お、今回は秋田さんが主役の中編も収録……いやその、ちょっとヒドくありません?(^^;;; 努力した形跡があまり見えないっていうのは事実だろーけどさー。
総額が12,636円と10,000円を超えたので、またしてもナガハマコーヒーの無料券が手に入ったのですが……またしても、使うことなく終わるのでした。だって私、小豆もだけどコーヒーも苦手だし。これも両親に預けるという手段が使えないんだよなあ(預けたところで両親も使わないだろうけど)。
アトリオン地下のあきた県産品プラザにて、御土産品と自分用食糧を調達。自分用食糧……はい、とんぶりを10セット。それに「しろくまヌードル」なるものがあったので、醤油味と塩ミルク味(!?)。更にニテコサイダーを3種類。って、瓶詰めの水まで買うとは……我ながら無茶し過ぎです。献血直後だというのに荷物を重くしてからに。
結局食事のほとんどは駅で摂ることになりました。さて、再上京します。来るときはガラガラの特急こまちでしたけど、今日の上りは帰省の戻りラッシュ。2日前では全席指定席の列車の切符なんて取れません。こういう場合、特定特急券で盛岡へ行き、東北新幹線の自由席に賭ける、というのが通例ですが……
今回は羽越本線特急いなほ14号を使います。E653系1000番台U-107編成、サハE653-1007にて、新潟まで。これで上越新幹線に乗り継ぐ計画なのです。こっちならどうにか指定席取れましたのでね。途中停車駅は羽後本荘、仁賀保、象潟、遊佐、酒田、余目、鶴岡、あつみ温泉、府屋、村上、坂町、中条、新発田、豊栄。最初はまだ余裕のある車内でしたけど、酒田と鶴岡で一気に満員になり、どうやら自由席は限界まで詰め込んだようで、車内販売が移動できなくなっていました。
途中、最大で8分ほどの遅延があったため、そのままでは新潟で上越新幹線への接続ができなくなり、新幹線の発車を待たせることになりました。乗り換え改札口を開放して乗客を急がせてましたね。私? 私は乗り換えに余裕を持たせるため、もう1本遅い便を指定していましたので、まったく問題ありません。それでも改札はされませんでしたけど。
特急とき374号(E2系0番台、編成番号未確認ですがJ12編成?)。グリーン車です。普通車満席だったもので。久々のグリーン車。途中停車駅は燕三条、長岡、越後湯沢、高崎、大宮、上野。こちらも新潟の時点ではまだ余裕がありましたが、長岡で一気に満席になった模様です。
特筆事項としましては……新潟から越後湯沢付近まで、WiMAXがまったく切れずに繋がり続けました。あれ、上越新幹線ってそういうサービスやってたんだっけ? いなほは勿論、東北新幹線も切れまくりなんですが……。ただ、cardさん3号のバッテリが持ちませんので、越後湯沢から先は電源切りました。
ところで、E2系0番台のグリーン車って、テーブル無いの? cardさん3号を膝に置かないといけなくて、体勢が辛かったんですが。
ほぼ定刻通りに東京駅到着。中央本線休日快速(E233系0番台)で吉祥寺まで行き、最終の「結構遠い停留所まで来る」バスに乗って、前線基地へ帰宅です。近い停留所まで行くバスはもうない時間でしたので……これ去年と同じパターンだなあ。去年はかなり寒い思いをしたけど、今年はそこまで気温下がっていないようで、楽ちんでした。
amazon.co.jpより、
以上到着。