Re: むしろ徳川イエス=Murakiでは?
On Sun, 14 Dec 2003 09:48:28 +0900, みんなのケンちゃん
<whiteboard21@carrot.ocn.ne.jp> wrote:
ケンチャン、しばらくだね。
じゃ一発、腹ごなしに、言いがかりでもつけさしてもらうよ。
ケンチャン、君は鈴木君と、イシバのアホが妥当か妥当でないかで切腹の介錯(解
釈)を引き受けるとか言ってる投稿をしてるね。
法文系ではなく介錯でたたっきるかどうか、実効性があるかどうか、つまり、その
首を、斬り落とせる切れ味があるかどうかが問題だと。
それに対して鈴木のおっさんは、北辰一刀流で、決闘上さえお札が立てば、観客か
ら見物料を取れるよう銭集めするという。
わらじ一つも金かかかるしね。最後は、ケンチャンはシャンペンぬいてゲップし
た。
クソ面白くもない議論だが、ケンチャンは「法は規範」であるというたちばなのか
「法は本質である」とする立場なのかどっちでしょう。
鈴木のおっさんは「法は規範である」の立場とみた。ケンチャンは妥当という言
葉、介錯という行動様式でたたっ切るか、やめてくかという立場のようだから「法
は本質である」でないと、矛盾するのじゃないかな。かと思えば、刑罰なき法の効
力のなさを問題にしている。「法は規範である」にぶれていると思う。高度に組織
化され、制度化された強制を法の要素とするなら、鈴木のおっさんの理屈は分かり
いい。規範を作ってしまえばいいわけだ。規範にないものは違反なわけだ。政治家
の責任も法的に問える。イシバはこの立場ではない。小泉君もこの立場ではない。
そして、ケンチャンもこの立場ではない。ならば、法は本質であるとするなら、本
質を追求した議論かといえば、そうではない。そのときどきの風見鶏で、つまり、
ケンチャンと同じ妥当の風見鶏をそれぞれの頭のてっぺんに立てて、風が吹いてか
ら考えるという立場だ。都合の良い介錯で、どうでも首斬り行事を実行したり延期
したり取り決められるわけだ。
別に「法は本質だ」という立場に反対ではない。だが、この立場は徳側イエスをも
生む。僕の言う日本の米国州化は、むしろ鈴木のおっさんと同じ「法は規範であ
る」とする立場だが。政治と法は関係するからね。
>
> "徳側イエス" <herr.tokugawa@seevetal.de> wrote in message
> news:jyNCb.46791$vn.106105@sea-read.news.verio.net...
>
>> A と聞いています。それでは
>
>
> ぼくちんもAだと思いまっす。(^−^;)
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> みんなのケンちゃんですた
>
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