boke,
法学に政治?
オブキュスランティズムが、日本を滅ぼしている。

太宰 真さんの<dp8134$be4$1@news-est.ocn.ad.jp>から
>太宰 真 wrote:
>> Google-100 wrote:
>> 
>>>米英?
>>>あほか、ユダヤプロトコルはユダヤ教しか認めない。創価学会などゴイム。
>>>獣。日本がユダヤ教かその軍門におちたキリスト教原理主義に宗派変えしない
>>>限り、もう、木っ端微塵に消えてなくなるだけだ。
>>>
>>>現代のカーストは、貧乏階級と、非ユダヤ教、非キリスト教原理主義。
>>>日本人は、どっち道、ぶっ殺されるだけだ。
>>>
>>>ならば、もう、アジアにもどって、アジアのリーダーとして、アジアを救う道
>>>に帰れ。
>> 
>> 
>> あっしにはそうは思われませがな。国民はみな自分で考えることを放棄し、都合
>> のよいことを憲法に期待してしまう。こういうことは憲法があるからいけないの
>> であります。
>> 
>> (1)日本人は権威に弱い。ここでは憲法がその「権威」の役割を果たしてい 
>>    る。
>> 
>> (2)憲法に限らず、法は「お墨付き」ではあってはならないのであって、その
>>    ことは法の「本質」であったはず。法があっても無法状態であるとして法
>>    行為を行う場合こそが逆に法を生かすことなのであります。ここfjが日本
>>    国民の縮図と見た場合にそのことは明らかではないか。悪法も法だと言う
>>    観念。法は自ら存在有らしめるものだと言う観念が欠如している。
>> 
>> (3)法はあまりにも理想的であってはならないのであります。その意味では法
>>    学で語る法と政治で語る法とはしばしば袂を分かつことになる。法が、極
>>    めて頼りない・危ういと国民が観念できたとき法は威力を発揮する。その
>>    意味では押並べて、法は飽くまでも人間・国民自身の行動の誘発剤に過ぎ
>>    ないと観念すべきものなのです。外に存在する憲法が内に存在すべき憲法
>>    や法といったものを無力化させている。
>
>法学に於ける「法や憲法」もが、いまや「理念」であってはならないのです。法
>以前に「政治」がなくてはならない。その場合の「政治」は勿論「権謀・術数」
>を語るものではなく、「価値の発見過程」である事を忘れてはならないであろう。
>
>こう見た場合の「政治的結論=価値」が法学の前になくてはならない。法学はい
>かにして法的観点からその政治的結論=価値を導くかの営みと化す。それでいい
>のであります。またそうでなくてはならない。
>
>--
>太宰 真@URAWA