なかなかものだと思います。

どうすれば、そういう認識ができるのかというと、
やっぱりアンテナが壊れているんだよね。

これは河野君が頭がいいとか頭が悪いとかじゃなくて
河野君は戦後教育のことに開成なんかの犠牲だということです。

政治的感性というのは、原爆作って投下する感性じゃダメなんですね。
むしろ、原爆のスミソニアン博物館の館長みたいに
国民教育の義務を果たせないと認識したら
下野する覚悟が必要なわけです。
あすは乞食になるかもしれない。それでも、全体主義教育の片棒担いで
世界へ原爆投下を正当化するメッセイージを送り続ける館長などしているより
はるかに人間としてまともである、という、アンテナ、情緒、感性
これこそが
教育者の感性であり、また、科学者の端くれの感性でなければならない。

この感性の欠落した人間が下手に政策なんかという言葉をつかうと、
強制収容所の効率的な運営の仕方や、強制収容所の費用対効果を計算するよう
なことになる。

谷村君なんかは、強制収容所の見張り役なんかが希望職なんだと思うけど。

その点、顔だけ男なんか、りっぱなものだね。強制収容所の塀の上をタコで飛
ぶ技術力をもって実行している。これは日本人すべてにとって大変魅力的な行
動なんだよね。すくなくとも感性というアンテナは正常なんだね。

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Fumimaro mailto:nonomura_f@hotmail.co.jp