>>>>> そうならないのは、個人的利害関係により*目が曇っている*ことに起因するこ
>>>>> とが多いようです。

というのは無根拠だという結論でいいですね?

In article <s1Mph.116$zG6.76@news3.dion.ne.jp>, 
  wacky <wacky@all.at> writes:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<m3ejq24902.fsf@orie.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>で、具体的に、何と何がどのように矛盾してるんですか?
>
> KGK == Keiji KOSAKAさんの<m38xgfe8gp.fsf@orie.rlss.okayama-u.ac.jp>から
> $> wackyの<1oGnh.91$zG6.17@news3.dion.ne.jp>から
> $>>投票権が無いとすると、投票の有効性つまりは現在に至るまでの全ての選挙及
> $>>び選挙結果を否定することになりますが、それでも「私の常識では正しい」の
> $>>ですか?
> $>
> $> なわけだが、
> $
> $で、「自分の常識では正しい」と答えられると、一歩も議論が進まないわけ。
> $その時点で、彼我の持つ「常識」が違うってのが明らかになります。
> $それを、「俺様の常識が唯一正しい常識なのだ」というので押しても、全くの
> $無駄。
>
> ですね。^^;
>
> 「私の常識では正しい」→「過去の選挙を否定」→「私の常識でも正しくない」

ここでは、最初の「私」は秋山さんで、最後の「私」はwacky氏ですね。
その両者の常識にに矛盾があっても、秋山さんの常識が間違ってるという根拠
には全然ならない。

もちろん、私の主張では、一つの常識体系の中に矛盾があっても、ただちに間
違いと言えるものではないわけですが、そのレベルにさえ達っしていない。

まあ、両者が無矛盾になるような説を作ることはできます。
前提さえうまく選べば、二つ程度の主張を無矛盾にするのはわけない。

例えば、「投票権はNGMPによってではなく、それ以外のfj倫理によって与えら
れる」というfj倫理起源説。
あるいは、「NGMPから投票権は読み取れないが、読み取れると錯覚した者達に
よって選挙結果が正当であるという幻想が生まれた」という共有幻想説。
または、「投票権はNGMPから文理としては読み取れないが、何等かの論理解釈
によって読み取れる」という論理解釈説。

「常識」というレベルに留まる限り、どれが正しいのかを答えることはできな
い。
それを議論するためには、その「常識」の根拠を問う必要があるわけです。

>>>>で、根本から違ってるように見える主張を見ると、「わざと暴論をはいてるの
>>>>だ」とか「それは間違った常識だ」とか捉えて、自分の常識を全然全く何も
>>>>チェックせずに正しいと信じこんでませんか?
>>>
>>> いいえ、キチンと矛盾を指摘していますよ。
>>
>>それは、自分の常識をチェックしたことにはならないですね。
>>たとえ、他人の常識に誤りがあったとしても、自分の常識が適切であるという
>>根拠にはならない。
>
> そんなことは当たり前でしょう。

というわけで、「自分の常識を全然全く何もチェックせずに正しいと信じこん
でませんか?」という問いに「いいえ」と答えたのは嘘だったわけですね。

> 少なくとも矛盾のある常識よりは矛盾の無い常識の方が*より正しい*わけ。

「人を殺してはいけない」と「凶悪犯は死刑にすべきだ」を両立させる常識よ
り、「人を殺してもよい」と「凶悪犯は死刑にすべきだ」を両立させる常識や、
「人を殺してはいけない」と「どんな凶悪犯も死刑にすべきでない」を両立さ
せる常識の方が「より正しい」という主張ですか?

でも、世間の常識では、「人を殺してはいけない」と「凶悪犯は死刑にすべき
だ」が両立してるように見えます。
何故、両立してもかまわないかと言えば、それぞれの常識のスコープを適切に
捉えてるからで、ちゃんとそうするためには、その常識のよって立つところを
明らかにしないといけない。
そうやって一旦常識を解体することによって、「常識」というレベルでは一見
矛盾して見えることも、両立できるわけです。

同様に、何かの議論に「常識」を当て嵌めるときは、そのスコープで当て嵌め
るのが適切かどうかを考えなきゃいけないし、異論がでたときには「非常識」
となじる前に、「こういう意味で適切だよ」って説明しなきゃいけない。
そうでなきゃ、説得力なんて生まれない。

> KGK氏も、矛盾のある常識を擁護するんじゃなくて、更に正しそうな常識を打
> ち出してくれれば良いのにね。

だから、常識レベルで議論しても無駄だってば。
既にすれちがいが生じた以上、よりプリミティブな根拠から説明しない限り、
議論しても無駄。
その根拠が、よりプリミティブな常識になったとしても、そこで共有できれば
議論可能だし、共有できなければ、さらに根拠を説明する必要がある。
議論ってそういうものでしょ?

>>メディアで簡単に操作できる程度のシロモノが無矛盾だとしたら、奇跡的です
>>が。
>
> ほほう?
> KGK説によれば「奇跡でも起きない限り全ての常識は矛盾している」のですか?

上述したように、二つ程度の常識を無矛盾に作るのは簡単です。
また、ある程度はもっともらしくなってないと常識になならないんで、少数個
の常識が無矛盾である場合があっても何の不思議もないでしょう。
が、多数の常識が無矛盾であることは稀だと思いますよ。
# 私の常識では :P

# 「どの二つも無矛盾」になるような常識は、作為的でなければ作られないし、
# 作ろうと思っても大抵は無理でしょう。

>>>>> 抽象論だけなら幾らでも誤魔化せるんですよ。
>>>>
>>>>抽象論の価値をよく分かってる者にとっては、胡麻化しようがありません。
>>>
>>> ま、具体論では「白を黒と言いくるめる」のは難しいですからね。:-P
>>
>>抽象論を無視した具体論の方が「白を黒と言いくるめる」は容易です。
>>あらかじめ決めておいた結論に合わせた前提を採用すればいいだけのことです
>>から。
>
> そんなモノは議論相手の具体論に撃破されるだけでしょう。

相手も抽象論を無視した具体論なら、どっこいどっこいです。

抽象論ってのは少数の主張で多くのことが説明できる分、強力な主張になりま
す。
# オッカムの剃刀みたいなもんだな。
そういう抽象論を背景にした具体論ってのは、分かりやすくて強力な主張にな
り得ます。

>>常識というレベルに留まる限り、どっちもどっちですね。
>
> なんか、「常識」を馬鹿にしていませんか?

少なくとも、無謬のものではないし、ある程度正しくても暗黙のスコープ内で
しか通用しないものだとは思ってます。
だから、スコープが適切かどうかを考慮せずに議論に使うのは、説得力を増す
役には立たない。
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK