Path: ccsf.homeunix.org!CALA-MUZIK!newsfeed.media.kyoto-u.ac.jp!newsfeed.icl.net!newsfeed.fjserv.net!feed.news.tiscali.de!fu-berlin.de!uni-berlin.de!individual.net!not-for-mail From: ABE Keisuke Newsgroups: fj.misc Subject: Re: =?ISO-2022-JP?B?GyRCREw/LiROSGtMKSRPJDMkbCRySl0+YyQ5JGshShsoQg==?= =?ISO-2022-JP?B?GyRCN3tLIRsoQiAgMjEbJEI+ciFLGyhC?= Date: Tue, 05 Jul 2005 22:03:04 +0900 Lines: 56 Message-ID: References: <42c9bdd3$0$972$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp> Mime-Version: 1.0 Content-Type: text/plain; charset=ISO-2022-JP Content-Transfer-Encoding: 7bit X-Trace: individual.net nsxYzEzbQUnn9dggBcEAawr+XNJ+XqvrGHTwLe5Aji8dsViUhG X-Orig-Path: koabe User-Agent: MT-NewsWatcher/3.4 (PPC Mac OS X) Xref: ccsf.homeunix.org fj.misc:1579 阿部@佐倉です。 In article , ayumu oshimi wrote: > > ただ、SASAKI氏等はlaw以外では議論したがらないのではないかと思えるとこ > > ろがあって、それが > > ほんとはfj.sci.lawが佐々木さんの遊び場になるはず > だったんでしょうけど。佐々木さんが自身の存在価値を > 感じられるのは結局の所fj.soc.lawなんですよね。 > > せめてもっとみんなと仲良くしてくれれば…と思います。 fj.soc.lawには、仲良しクラブはないと。 でも、私は佐々木さんと仲がいいかも。今回のことでは、 私はとても消耗したし、佐々木さんはもっと消耗した気分 なのかもしれないけど。 私は、ayuさんとも仲良しっ子になりたいなあ、なんとなく。 そんなことはどうでもいいですが、soc.lawという意味では、 浜田先生の陳述内容なんてぴったりなのではないかなと 思ったりするのだけどなあ。社会の中で表現の自由をどう 位置づけていくかということで。なんで、書いてあることが 見えないのかなあ。現にこういうように使われているけど、 (あなたがたの説を受け入れたところで)、こういう 使われ方はどう解釈すればいいの?という明確な問いを 発しているつもりなのだけど、いまだ回答が得られない。 前も何かで書いたけど、私は完膚無きまでに屈服させられたい のよ、こういう場合。完膚無きまでに屈服させられたら、 悔しいけど。ちくしょう、負けないもんってな感じで頑張りたく なるし(←勝ち負けになっている時点で、だめだめじゃん)。 今回でいえば、浜田先生の提示している論議とか、社会的責任論 のような論議とか、公権力対私人のような対立構造で捉える だけではなくなっているよね、ということを踏まえた上で、なお 公権力による表現規制の禁止と捉えるべきだという議論が 展開されるれば、説得されるつもりなのですが、そういう話には ならなかった。だからいらだっています。 「差別はいけないね」って言った場合、割と憲法の「法の下の 平等」を思い浮かべる人っているんじゃないかなとか。この 場合は「法の下の」ということが明記されているし、「差別は いけないね」と「法の下の平等」はすっきりと違う言葉だけど、 表現の自由と憲法と一般的用法との関係では同じ言葉になって しまっているのでは、とか。ぐるぐる考えています。 なんだかとりとめがなくなってしまいました。すみません。 -- 阿部圭介(ABE Keisuke) koabe@mars.sakura.ne.jp 関心 ・専門分野 :  新聞学(ジャーナリズム、メディア、コミュニケーション)