サランフランシスコ講和条約の締結で「全面講和論」(日本が再び戦争に巻き込まれると言う
主張)があるに対して吉田首相(自由主義陣営とだけ講和を結ぶ)との決断を下しました。
日本の左翼陣営はソ連中華人民共和国との講和が重要だと主張しました。
マスコミも朝日新聞などが先頭になって全面講和論を強力に主張しました。
翌年日本は占領下から独立したのです。
東側の圧力に屈することなく国内のマスコミなどの「全面講和」の主張を抑えきった
吉田の判断こそ「英断」と呼ぶに等しいものだと三宅久之さんが自分の著書
に書いている。



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長谷川です