「ハイ・スタイル」はラルフローレンが商品化してからはブランド
とない交ぜにされているきらいがあるけど、それは階級的な生活ス
タイルとモラルなのでカネで購える種類のものではない
それでも「ハイ・スタイル」のイレモノとしての住宅建築物はその
生活実践の舞台装置としてのイマージネーションをかきたてる訳で、
「質素でありながら充実して快適な幸福の記憶」をメディア商品と
して成立させてしまう。

「ハイ・スタイル」の例として村上春樹のひつじ三部作にでてくる
≪鼠≫とあだ名される男が思い浮かぶ、北海道の山奥の山荘に独り
暮らしていても、自分だけで完結した快適な≪幸福≫の生活を質素
に実践できる教育(本を読んだり楽器を楽しんだり)と訓練(ワイ
シャツのアイロンのかけ方や畳み方を知っている)を受けている

それは軍隊的な訓練(軍服のアイロンのかけ方や畳み方を訓練させ
られる)とそんなに無関係ではない、ラルフローレンが商売をはじ
めたころに資金を出していたノーマンヒルトン(やっぱりアパレル
メーカとして今にあるけど)は軍隊出身でデザインには軍服の影響
がある質素でありながら品位を失わない「良い趣味」が特徴にある

「ハイ・スタイル」は王侯貴族の宮廷生活とも違うし、産業革命期
に勃興したブルジュアジーのビクトリアン的な家庭生活とも異なる
もしかしたら、大量殺戮の戦争(勿論第一次世界大戦のことだ)と
情報過多な大衆社会(オーソンウェルズの時代のはなし)が齎した
ものなのだろうか


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のりたま@ああ時間がない