政治献金を個人献金にすれば万事解決かといえばそうもいくまい。
個人の場合も、親戚であること、友人であること、単なる支持者であること、
企業主・ゼネコンの役員や株主など、色々な関係や立場があり、
世の中に無色透明な人間なんてありゃしない。

この人なら政治家になって貰いたい、と願うとしよう。
その人が貧乏ならば、みんなでお金を出しあってその人を育てよう、
と、そんな場合だってあり得る。
政治活動資金提供の原点は実はそういうことだった。
それが自由社会において当然許される政治活動の一態様である。
だから、政治献金をなくせ、という共産党の言い分は、
現代日本においてはとても通用するものではない。

政治献金の額が多すぎる、との批判がある。
批判は自由だが、多額献金の理由について説明する義務はもとよりない。
ましてや法の制裁を受けるべき何物もない。