Re: 長崎市長殺害犯に死刑は画期的だが当然
仰せのとおり、テロを、政治犯とは、認めない。
その極刑を以て、望むべし。
ご指摘どおり、その裁判員制度は、司法の民主化という、改革的意味。
それこそ、大衆化の流れ。
それも、朝鮮人パラサイトのヤクザに対しては、断固として。
その多数派の日本人に、ホストとしての自信を、与える判決。
"村上新八" <shinpa@cronos.ocn.ne.jp> wrote in message news:g1fcgd$u20$1@news-est.ocn.ad.jp...
> 選挙運動中の伊藤長崎市長を後ろから拳銃で殺害した暴力団幹部に対して、長崎地裁は死刑の判決を下した。犯情から言って当然の判決である。
>
> 従来は複数人を殺せば、死刑になる確率が高いが、一人殺しても死刑にはならない、などという変な相場みたいなものがあった。これを覆す判決だが、こんな相場に拘ることがおかしいのだ。
> 来年の「裁判員制度」スタ−トに先立って、改めて死刑制度の是非が問われている。
> これは、素人の裁判員が「死刑」の判断意見を出すのは躊躇せざるを得ない、というような気持があるからでもあろう。
> しかし、「死刑」の賛否を一般論として問われれば、誰でも「否」というに決まっているが、これは一般論としてでなく、あくまで個別の現実事案で考えるべき問題だと思う。
> 現実の悪逆非道な殺害事犯に直面すれば、「死刑は当然だ」と思う場面はあるのである。
> 刑罰は、更正の機会を与えるためなどときれいごとが言われるが、更正の可能性の有無は、裁判を通じて被告の姿勢、態度を見れば分かることなのだ。その可能性が見られない悪逆非道な殺人犯に対しては、極刑言い渡しも躊躇してはならないと思う。
> 村上新八
>
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