Sugawaraさんの<nmDod.26956$NC6.2371@newsread1.mlpsca01.us.to.verio.net>から
>Sugawaraさんの<evCod.26951$NC6.15601@newsread1.mlpsca01.us.to.verio.net>から
>>政治的にはね、黙ってる奴は人間じゃないんだよ。
>>それが民主主義なんです。活動しない奴はアホで間抜けで奴隷にされても文句
>>の言えないカス。
>>
>べつに袖の下利権団体などあっても良いのです。
>自民党の各種政治団体などあってよい。
>
>問題は自分の政治団体は許すが、自分に敵対する政治団体は壊滅させると言う
>立法を作ることです。

ここが、民主主義とファシズムの分水嶺です。
敵対する利益団体を、封印する社会か、許容する社会か。
日本は封印する社会ですね。

封印されてる人民がそれに反旗を翻さない。ここが問題なのです。
支配層は政権をにぎって翻させない。ここが問題なのです。
国家主義とその主役の官僚が翻させず、長いものにまかれろの国民意識、ここ
が問題なのです。
日本共産党は本来なら路上で刺し殺されても命を張って訴えるべき政党である
はずです。歴史的に見てもね。ところが今の日本共産党は左の貴族化した連中
が牛耳っている。これはもはや左ではなく、右の影。右を生かしそこで命を永
らえさせている影に他ならないのですネ。ここが問題なのです。

浅沼稲次郎を刺殺した少年を教育したのは赤尾敏ですが、刺し殺されて、社会
党は衰退して行った。赤尾敏の暴力が上回ったわけです。これは、赤尾敏のほ
うが社会党より、政治に賭ける情熱が強かったということに他ならないと思う
ね。命を奪った赤尾敏は、命をかけていたといえる。社会党に刺し殺されても
本望だという覚悟があったはずだ。しかし、誰も赤尾敏を銀座4丁目で刺殺し
なかった。これは、非暴力の社会党といえばかっこいいが、PFLPやイスラエル
モサドならそうは行かなかったでしょう。つまり、命を張った政治組織なら返
り討ちにしたでしょう。別にそうせよといっているのではない。ただ、そうい
う反乱分子が一人も出てこなかった社会党という生ぬるい思想団体は、所詮、
大きい暴力や、大きい弾圧や、大きな「国民の愚民化政策」にははじめから対
抗する政治的信条などなかったといえるでしょう。そんな情熱さえなかった。

命をかけるという情熱はむしろテルアビブの奥平ら赤軍には現れたが、革命と
いうあだ花を夢想した犠牲者だったといえる。パレスチナ人民の英雄になって
も撃ち殺したプエリトリコ人の命の代償には程遠い軽さだ。
銃器で人間を解放することも歴史上必然性のあったことも多かろうが、現代の
問題は、貧乏人や被抑圧者自身の、こうすれば救済されるという、先進国を含
めた国民の政治意識の低さにこそ原因がある。利権団体だろうが、マフィアだ
ろうが、より多くの一般人民が政治性に目覚め、基本的人権に目覚め、道徳と
政治の分離に目覚め、宗教と政治の分離に目覚めれば、人民救済の利益団体の
巨大化は可能なのである。この運動にこそ、奥平らは銃器をすてて身を投じる
べきだったでしょう。だが、何も行動しない今の学生らには批判する資格さえ
ないと思う。暴力に振り切った奥平らの暴走を、乗り越える能力などいまの馬
鹿学生にはない。

沈黙する学生は、殺される運命にある。彼らは、確実に日本の民衆の政治意識
の貧困さに殺されていくだろう。自らを救済するには宗教でなく、道徳でもな
く、お笑いでも、ミュージックでもなく、サッカーでもなく、国家主義ではな
い主権自治体の建設と基本的人権の覚醒というたったこれだけの文字を実現す
る能動的、地道な行動を志向すれば一気に日本が救済されるものを。