みやしろのことに うれひはふかし鎮魂祭


            即ち「合碑祭祀精霊」の追悼です。鎮魂です。

            靖国神社は神道国学の主神が「英霊合碑祭祀」されています。
            即ち「靖国神社」は神道国学の神社では有りません。
            鎮魂「招魂社」です。又々靖国神社は神道国学の二列二連伏字の神社です。 


            そこに日本国の「信教の自由」が古来から神道国学に存在するのです。
            信教は自由です。怨み辛みも其の信教は自由です。だから・・・

            A級戦犯の悪口を言う・其の信教の自由は神々の名に於いて存在しない。 

            あの大戦のA級戦犯の責任追及も「信教の自由」です。
            其の様々な合碑祭祀精霊の鎮魂の「招魂社」で有る事実は其の事実です。 


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            憶測に過ぎませんが、

            ヤスクニ関係の御仁の口からは、ときに先の大戦の後、東京裁判で戦争犯罪人となった人々と対比され、

            その戦争を命令した責任をとらなかった、というような恨みのこもった非難めいた御言葉が聞かれることがあるような気がします。


            もしも遠回しにでも、そのような御言葉をお聞きになれば、もう二度と行くまいとお思いになったとしてもおかしくないような気がするのですが如何なものでしょう。


            それでも赤札一枚の国の命令により、遠く祖国から離れ、親兄弟や親戚などもない心細いなか、ひもじい思いや苦しい思いをされ、人生を途中で中断させられた人々には、

            どんな言葉でねぎらおうとねぎらいきれない、重みがあるのではないでしょうか。


            うれひ、とひと言でのたまった、そのご意味には、底知れぬ深さがあると言えるような気がいたします。

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                           神道国学者 謹製