「人類を光に導き、7個の灯と、幸いを齎さいでか」?

立志はどこ吹く風、世俗のことで「頭が一杯なのか」?

例) 「人に好かれるような人物になりなさい」

こんな文句を聞いて、真実性があるなどと思えますか?

反抗を覚えない人がいるでしょうか? あるはどこに宗教性

や信仰心があるのでしょうか?

<「イエスは罪人を救った」「どんな悪を犯そうが、人に嫌われようが、解放される道を説いた」>
(無論罪を犯さなくとも良いのだが?)

「嫌われ松子」の生涯でさえ、世間から後に称揚されているというのに???

本当に「万人に真理を教えている」と謂えるのでしょうか?

冗談ではない、そんな完璧な人が居ますか? 嫌われない人なんて居ますか?

第一に私はそんな言い方をするあ・な・たが嫌いです。

おまけに「彼らは自らの責任を負うつもりなどない」上記のような放埓な言論で

お遊戯をしているだけである。 どこに「信」がありますか? 「夢」がありますか? 


考えても見よう、「人に嫌われた困ったなどうしよう」こういう人間の悩みに対して

光を与えるのが宗教性なのではないでしょうか??

できればご意見、お考えをお聞かせ願いたい。