「人はなぜ欺瞞に満ち、悪意に充ちいているのか?」
「人類を光に導き、7個の灯と、幸いを齎さいでか」?
立志はどこ吹く風、世俗のことで「頭が一杯なのか」?
例) 「人に好かれるような人物になりなさい」
こんな文句を聞いて、真実性があるなどと思えますか?
反抗を覚えない人がいるでしょうか? あるはどこに宗教性
や信仰心があるのでしょうか?
<「イエスは罪人を救った」「どんな悪を犯そうが、人に嫌われようが、解放される道を説いた」>
(無論罪を犯さなくとも良いのだが?)
「嫌われ松子」の生涯でさえ、世間から後に称揚されているというのに???
本当に「万人に真理を教えている」と謂えるのでしょうか?
冗談ではない、そんな完璧な人が居ますか? 嫌われない人なんて居ますか?
第一に私はそんな言い方をするあ・な・たが嫌いです。
おまけに「彼らは自らの責任を負うつもりなどない」上記のような放埓な言論で
お遊戯をしているだけである。 どこに「信」がありますか? 「夢」がありますか?
考えても見よう、「人に嫌われた困ったなどうしよう」こういう人間の悩みに対して
光を与えるのが宗教性なのではないでしょうか??
できればご意見、お考えをお聞かせ願いたい。
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
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