安倍の敵前逃亡的辞任に伴う自民党の新総裁選が終わった。
 自民党9派閥のなかで、小派閥である麻生派を除く他のすべての派閥が早々と福田支持を決めているなかで、地方票ではほぼ互角、他派閥からも80票を獲得した麻生の善戦ぶりが目を引いた。
 各派閥の領袖は、「派閥は昔と違って自由度が高まっている証拠だ」と言っているが、派閥が進化したというわけではない。政治資金規制が厳しくなった結果、領袖がカネを集めて、配るという力が無くなったから、というだけなのだ。
 政治には振幅はつきものだ。右に振れたら、次ぎは左の振れるという現象はどこの国の政治にもある。が、自民党の振れ方は、極端すぎる。
 「自民党をぶっ壊す」と言って市場原理主義一辺倒、弱肉強食推奨の狂気じみた小泉にわっと一斉になびいた次は、国家主義回帰、太平洋戦争美化の安倍に一斉になびき、安倍が自滅すると、今度は、足して二で割る旧自民党式調整型の麻生にわっとなびく、という体たらくである。
 まるで、群れ固まって、意味も分からずに、一斉に上下左右に群れ動く雑魚の大群さながらではないか。それは寄り合い所帯よりも遥かにお粗末である。寄り合い所帯には各自の自論があるからである。
 民主党の小沢一郎から「自民党には哲学がない」と批判されるのはこの点なのである。 

 村上新八