Re: そこでしつもん Re:ゆうべのひと言
Golden Crossさんの<ci0tor$s5k$1@news-est.ocn.ad.jp>から
>
>"Sugawara" <sugawara81@hotmail.com> wrote in message
>news:xwG0d.6386$NC6.4320@newsread1.mlpsca01.us.to.verio.net...
>
>> ここは日本の政治を語る場であります。
>> 世界の政治を語る場であります。
>
>なるほど、さすがSugawara氏であられます。
なるほど、ハイド氏ですね。ハイド氏を私はそれなりに尊敬しております。貴
殿の姿勢は新軍国主義に必要な要素を呈しておられる。貴殿のような政治家が
日本の閣僚に半分もいれば日本は明日にでも新日本軍国主義に変われる。新日
本軍国主義は全体主義ではありません。しかし、共産主義でも社会主義でもな
いし、アメリカ版民主主義では断じてないし、議会制民主主義でもない。民主
主義そのものが愚民制度であり愚民政治の粗悪品であります。
さて、本題に入りましょう。
>
>今回フォローさせていただいたのは、ここでの、…政治を「語る」についてで
>御座います。私の考えでは、
>
>(1)語るべき「対象」は、過去とつながりそしてまた将来と繋がる現実の日本
> の政治あるいは世界の政治ではないでしょうか。対象を「あって欲しい」
> (=不存在)政治としてはならないと考えます。
理論と論理は違う。貴殿は理論を追求しようとしてますね。
理論はそう簡単にはでてこない。だが、論理は5歳の子供でも発することがあ
る。
>
>(2)過去とつながり将来と繋がる現実の政治を語っているんだとした場合で
> も、その語りが、「一般に語られている概念」を示す言葉を使って表現しな
> かったなら、その意図は通じないでしょう。ですから、この場合は、どう主
> 張しようと、(1)同様、架空の政治=小説を語っているに過ぎないことに
> なるのです。
同上。
>
>(3)現実の政治を議論の対象に据えているんだ、とした場合は、多かれ少な
> かれ、対象としての現実の政治状況の「分析」とその対象の「輪郭」が、議
> 論において最低必要とされる共通認識のためには或る程度明確でなけれ
> ばなりません。そのような「分析」や「輪郭」は自明のことだとし、それには
> 一切触れずに、俺はその先から語っているんだと言ってみたり、比喩とし
> て語っているんだとしてみたり、増してや、徹頭徹尾「評価」だけで終わろ
> うものならば、実際目の前に呈示されている論述は、やはり小説に過ぎな
> いものとなる。小説だって、事実はこういうものだとしてという暗黙の設定が
> あるわけですから、そのような書き方は「妄想」でしかないとされても仕方
> がないことになるのです。
同上。
>
>私の考えでは、「小説」はそれが政治内容が題材であったにせよpolitics自体
>ではない。politicsならば、その内容がどんなに稚拙であるにせよ、「存在論」
>の範疇で、語られなければならない。少なくとも、「対象」は。たとい将来のこと
>であっても。… こう思うわけで御座います。
これも同上です。
>
>もし、そうで無かったなら、あなたが今ご執心の「馬鹿論議」も全てがpoliticsに
>なってしまいます。これは他人から見ればたまったものではないのです。例え
>ば、Kaz氏の投稿も「小説」と目されることがありますが、貴方のとは違います。
>彼のは、簡単に申し上げれば、「対象」としての事実の捉え方が「違う」と言う
>に過ぎないのです。彼のは小説であるにせよ、面白い場合がある。実際問題
>としてはこれは重要ですね。
KAZさんはある意味で私にとってはおもろいおっさんであります。その意味で
は同感ですね。
ただし、「対象」や「違う」とかいう言葉の道具は仮象問題に流される視点で
すね。論評は控えます。
>
>真面目な話し、Sugawaraを改名し、Murakiに戻し、<標語>で語る政治論と
>いう変わった手法に戻された方が一応politicsの形にはなると思われますが
>いかがでしょう?信憑性のほどは定かではないのですが、豊富な知識には目
>を見張るものがおありなのですから。それを大事にするってのはどうでしょう?
私は村木氏ではありません。私は、新日本軍国主義を待望する一介の美青年で
あります。
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
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