「私は思想を持っている」「私はかくかくしかじかの勉強を(教義や先輩など)して知識を
  身に付けた」

 愛国学生を名乗っているが? 「君が犠牲になれ」とか「拝んでも拝み倒してもどうしても

 こうしても」「そしてたとえきみを"グサっ"と(殺しても)それでも目的を果たす」これの

 どこに"至誠を尽くす"という態度や、彼らの「建設性(謎)」があるのでしょうか?

 彼らは明らかに「嘘つき」であり「右翼のチンピラや本物?」と同様にあつかわれなくては

 ならない。 目つきからすると明らかに「一癖も二癖もあり」すでに頭脳は「論理性」を失い

 祖国の亡霊と化している。 その証拠に彼らは「夜な夜な私の枕元に立つ」のであり。

 それは何を訴えたいのか、何をいいたいのかわからないのであり?俺もお陰で眠れねえや。

 一体全体どこが「真摯(謎)」なのか? 彼らはそして<私の思考を読み>それを新情報など

 として例)「そうだね、thinkig
see sink...(意味不明です)だね」などと皆にばら撒く

 のである。 彼らはそれで色々な「町村役場に電話をかけ」<苦情申し立て奉りサブらう>い

 迷惑を書けて喜んでいる、大馬鹿者である。 一体全体それでどこが「政策」なのか?

 私には理解しがたい。 彼らが精精出来るのは「個人のショッピングにやっかむ」だけしか

 できないくせに「お前の論法でいけばお前の論法で間違いだ」などと知ったかぶるのである。

 彼らは「国家や優秀な労働者、学校教育」のことなどどうでもいいのである、いわばそれの

 パラサイトであり、「神聖な場所」にたいして冒涜を行う不届きモノであり、そのために

 苦労している人達の「血税」などは眼中にないのであり、その学費や努力の上に胡坐をかく

 トンでも野郎である。 そしてそれに快楽を感じているただの刹那主義者としかいいようが

 ない。 そして24時間宴会の夢をみている。

 誤解のないようにつけたしておく
 
 彼らの思想が蔓延し、「清貧」を楽しむみたいな風潮が嫌でならない、どうして江戸末期や

 明治にかけての文化にヒッピーの考えをまぜこぜにした思想(?)を現代というパラダイム

 にもたらす必要があるのでしょうか? 私は現代の風潮に同化したいし、またその場所での

 生活を望んでいる。 そんなの流行らないよ。