この問題に関する諸君の見解は、当を得ているとは思われない。

戦後の対日問題の処理にあたっての国際法規は、何といってもポツダム宣言である。
ポ宣言は、日本の無条件降伏を求めたもの、といわれるが、決して“無条件”ではない。
のみならず、そこには、重要なる条件がおりこまれている。ポ宣言には「カイロ宣言の
条項が履行されること」とあり、そして当のカ宣言には、日本国に返還させるべき領土
の範囲が明示されている。これらを逸脱する措置は許されない。

例えば、樺太も千島列島も“第一次世界戦争以降に奪取した領土”にはあたらないから、
連合国に返還しなければならないいわれはない。カ宣言のいわゆる“日本が戦争によって
奪取した領土”の意義を拡大解釈するとしても、その対象となるのは樺太だけである。
(なお、台湾等については別途の扱い)
ヤルタ会談にのぞんだルーズベルトもその裏方も、こうした経緯を知らなかったか、
もしくは等閑に付したのではなかったか? この点、米国国立文書館に資料があると
思われるので、専門の研究者の発掘をまちたい。

したがって、北方領土に関し、四島だの二島だのと騒ぐのは全くバカげた話で、ロシアは、
千島列島全島を日本に返還しなければならない。
いずれにせよ“北海道占領”などとは全くとんでもない料簡であって、もしソ連がそんな
ことをしようものなら、連合国は一致協力して、武力を以てしても、それを防ぐ義務が
あったといえよう。

ヤ協定は単なる密約であって、これが国際法規乃至は外交基準として認めれるか否かは
疑問である。敗戦国日本側が、もしもあのとき、ヤ協定の無効等を強く主張すれば、
相手側は却って開き直り、彼等勝者の論理のままに、日本の領土が蹂躙され、場合に
よっては、極大の悲劇を蒙る恐れがあったかも知れない。
そこで最悪の場合を避けるため、已むを得ず、ヤ協定の有効性を認めざるを得なかった、
という事情があったのではあるまいか。
斯くして、今日の北方領土問題に至っている、というのが実状ではないだろうか。