「まだ私どもの教義に従わず、無軌道な生活をしますか?」

なぜそんな教義が法律や、行政的な権限があるというのでしょうか?

教団内部でしか通用しないものが、実社会でなんか意味があるので

しょうか?

ましてそれが「恋」「労働」「職業人」であれば、彼らこそ破壊のツミや

身の破滅を齎す者であり、脅してまで自らの権理に従わせ、意のまま

に操ろうとしてさえいる。 そこにどんな信仰心や謙虚さがあるという

のでしょうか? 人の仕事を邪魔し、開放への道を塞ぎ、塊から安らぎ

を奪い、収税し、一体全体今更彼らのドグマにどんな価値や意義がある

というのか? 恐るべし!アレシ!