戦争犯罪宣伝計画(WGIP)
◇自分に自信を持てない。自己否定感の強い子供たち
現代の日本は、アメリカの占領政策を日本人が継承し、拡大再生産している。日本人自身の手により、税金を使って日本の子供たちに洗脳が行われているということで、これはもうアメリカが悪いとか占領政策が悪いという話ではなくて、日本人自身の問題である。
今、日本の子供たちが、「自分は駄目な人間だ」と、自己肯定感を持てないということが大きな問題点である。最近文部省の中央教育審議会が「心の教育」についての中間報告を出した。
その中に日本の小学生の自己評価がある。国際比較をすると、どの項目を見ても日本の子供は最低である。つまり、どの項目についても自信がなく、自分に対して肯定感がないのである。
自分を暖かい目で見られない人は、友達を暖かい目で見られないし、親や国に対しても暖かい目で見る事は出来ない。
◇自分だけを責める構造
戦後の日本国家は、実は「国際的登校拒否」であった。
或いはまた、「国家的自閉症」である。
湾岸戦争が起きた時、日教組が平和教育の分科会で特別決議を挙げた。
これは三つの方針で、一つは「イラクのクウェート侵略に反対する」、二番目は「国連軍の軍事介入に反対する」、三番目は「日本のあらゆる国際貢献に反対する」というものである。つまり、徹底した反戦主義だ。これは「見て見ぬ振り」である。
イラクの行為は明らかに国際正義を踏みにじった侵略戦争であったと思うが、その不正義に対して結局何もしてはならない、というのが日教組の平和教育だ。これは、学校の弱い者いじめに対して、今の子供たちは何もしない、それと同じ行動なのだ。つまり、戦後教育の優等生が今の子供たちなのだ。
そのことをさらに痛感したのは、『いじめ、自殺、遺書』という本を読むと、イジメを苦に自殺した子供たちはみな同じ遺書を書いているということを知った時だった。どういう点で共通しているかと言うと、自分をいぢめた子を庇い、自分だけを責める、という点である。
愛知県で自殺した大河内君という子が有名だが、「ボクをいぢめた子を責めないで下さい。ボクがなんでも言うことを聞いて、何でも『ウン』と言ったボクが悪いんです」と、自分だけを責めている。
それと全く同じ心理構造だと思うのは、長崎前市長の本島という人が、広島平和教育研究所の機関紙に、「広島の原爆ドームを世界遺産に登録することに自分は反対だ。広島は侵略戦争の拠点だった。だから、日本は原爆を許せ。日本はアジアの人たちに大変な迷惑をかけた。それをまづ世界に対して詫びるのが先であり、和解の先頭に立つべきだ」と、徹底した「一国性悪説」なのだ。
自分だけを責めるという戦後の子供たちの心境と、日本だけが悪いのだと言って、その背景にあった問題を全く考えないという「一国性悪説」というのは、構造的に非常に似ている。
素朴な疑問として、長崎の原爆資料館になぜ日本の侵略と謝罪ばかりが強調されるのか?本来は原爆のことを考えるのが、原爆資料館である筈である。ところがここでの展示では、皆さんもご承知のように、所謂「南京大虐殺」の写真が三回取り替えらている。しかし三回目に取り替えられた写真も、それを写した方が「これは南京虐殺の写真ではない」と言っている。
◇消し去られた歴史
長崎の原爆資料館で、何故、偽写真を使ってまで日本の侵略ばかりを強調するのか。実はその構造がWGIP「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」という、今から60年前に占領軍がやった政策と、深くつながっている。
まず一つの事例だが、永井隆博士という方が、『長崎の鐘』という、自分が長崎で被爆した体験を本にした。
当初占領軍は、その本の発行を認めなかったが、六ヶ月経って発行を許可した。
ところが、それには「マニラの惨劇」という、日本がマニラでどんなにひどいことをやったかということを載せること、という条件が付いていた。これは分量的には『長崎の鐘』の半分である。
スポールディングという出版部長は、これを出すことは、日本が侵略或いは加害した犯罪と、アメリカが原爆を落とした罪と相殺され、プラス・マイナス、ゼロとなることを意味する」と言っている。
これが「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の第三段階の政策、戦争についての罪悪感を日本人の潜在意識に植えつけるための情報宣伝計画の一つなのである。
ミラン・クンデラというチェコの作家が、『笑いと忘却の書』という小説で、登場人物に語らせている象徴的な言葉がある。それは、「一国の人々を抹殺するための最初の段階は、その記憶を失わせることである。その国民の図書、その文化、その歴史を消し去った上で、誰かに新しい本を書かせ、新しい文化を作らせて、新しい歴史を発明させることだ。そうすれば間もなく、その国民は、国の現状についてもその過去についても忘れ始めることになるだらう」というものである。
それと全く同じことが戦後の日本に起きたのだ。今、「日ソ不可侵条約」について知らない大学生がたくさんいる。八月十五日が何であったかということすらも風化しつつある。アメリカが敵国であったということも知らない。そのように、戦後60年経って、そういうものはすっかり風化しつつあるのだ。
ミラン・クンデラはまた、「歴史を消し去った上で新しい歴史を発明すれば、その国の過去についても忘れ始めるだろう」と言っているのだが、消し去られた歴史は「大東亜戦争」である。戦後世代は、大東亜戦争ということを学校で学ぶことはない。教科書にももちろん出て来ない。そうして占領軍、GHQが発明した歴史が「太平洋戦争」だ。
◇罪の意識の刷り込み
もと戦時情報局員でGHQの民間情報局企画課長のスミスという人が、『太平洋戦争史』という本を書いている。この「太平洋戦争」は、言うまでもなくアメリカ人にとっての歴史観つまり米国史観であり、『太平洋戦争史』という歴史は勝った国が書いた歴史である。
米国史観とはアメリカの歴史を徹底的に正当化した意味づけを行った歴史観である。原爆投下に対して「原爆は戦争終結を早めるため」というのがその最たるものだ。
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の第一段階は、この『太平洋戦争史』つまり米国史観を徹底して日本人に叩き込むことであった。
ですからこれを、昭和二十年十二月八日から、一斉に日本の全ての全国紙に連載を強要した。
そこで強調されたのは、「南京虐殺」であり、「マニラの惨劇」だった。つまり、日本人が如何に悪逆非道を行ったかを強調したのだ。それまでは、
「日本は武力の戦い、物量の戦いでは負けたけれども、道義の戦いでは負けていない」と、日本人は信じていた。
しかしながら、南京やマニラではこんなにもひどいことをやったと書き立てられて、道義の自信をすっかり失ってしまった。
日本の子供たち一人一人が自己信頼を失っていることが、元気を失っている源だが、同じことが、日本の国家にも言えるのである。
日本の歴史に対する自己信頼を失ってしまった。特に「南京虐殺」を読んで、まさにそれを真に受けたわけだが、そのことが日本人の道徳意識に与へた致命的な打撃は、深い心の傷になっている。
この『太平洋戦争史』には、基になる本がありました。それは一九四三年にアメリカの国務省がまとめた『平和と戦争』という本だ。これは日本語に翻訳されている。バーンズ国務長官が序言を書いている。だから、これはアメリカの国務省が編纂した、アメリカの公的な歴史観をまとめた本である。底には「米国史観」がはっきりと読みとれる。
所謂「東京裁判史観」とよく言われますが、この前提になっているのは米国史観である。米国史観とは、徹底的に自国を正当化する歴史観ですが、例えばこの『平和と戦争』の歴史観を端的に申し上げれば、次のようになる。
あの第二次世界大戦は米英民主主義国の、日独伊全体主義国に対する正義の戦争であった。つまり、単純な善玉・悪玉史観で、良い国の民主主義国が、悪い全体主義の国を正義の戦争で裁いた、というものである。
ところが、この驚くべき単純な善玉・悪玉史観と全く同じことを、戦後五十年の朝日新聞の社説が書いているのだ。朝日新聞はもちろん、マインド・コントロールを受けているとは当然思っていませんだろうが。
朝日新聞は、戦後すぐに変ったわけではない。鳩山一郎さんが原爆批判をしたのだが、それが占領軍の逆鱗に触れ、朝日新聞が発行停止になり、以来「プレス・コード」というのが出来た。
これが朝日新聞には決定的な影響を与えた。戦後五十年の特集を読んでおりましても、朝日新聞自身がこれを認めることを書いている。「自分たちは、発行停止になることが致命傷だから、それ以来自分たちで自主検閲をするようになった」と。占領政策に反するようなことは、自分たちで書かないようにしたのだ。
最初は当然その意識はあった。しかし次第に、マインド・コントロールと言って良いが、戦後五十年経って、一九四三年のアメリカの歴史観と朝日新聞の歴史観が全く同じなのだ。
ところが、読売新聞は、朝日新聞の社説を引用して、その歴史観を真っ向から否定する社説を書いている。これは大きな変化である。
実は占領直後、GHQは日本人について詳細な調査をして、それを『マンスリー・レポート』という月報に表している。それを見ますと、敗戦直後の日本人には、戦争についての罪の意識はない、とレポートしている。つまり、日本人が意識を持つようになったのは、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」を徹底して潜在意識に叩き込んだ結果なのだ。
「南京虐殺」がどれだけ日本人に影響を与えたかということについて。
例えば、占領軍が占領政策に反するものをチェックするための検閲を上ると、このような文章が検閲にある。昭和二十二年に発行されたものである。
「敗戦後明白にされた日本人の外地・内地における破廉恥行為の数々の暴露において、僅かに武力戦には負けたが道義戦には勝ち得たかと考えた自信さえも失墜し、日本人としての自尊心を完全に亡失してしまった。」
これはまさに当時の日本人のことを正直に言っているのだが、これは検閲で削除された。
或いは大江健三郎の先生で東大の渡辺一夫という方が、こういう文章を昭和二十一年に書いています。
「南京事件は、中国人のみに加えた犯罪ではない。それは日本国民が自分自身に加えた犯行・侮辱である。尊い倫理的命題を暗唱することだけに一切の責任をおき、これを護符の如く保持した国民の自己崩壊の例証である。」
教育勅語を丸暗記したけれども、それを学んだ軍人たちのやったことは「南京虐殺」ではないかと、そういう自己崩壊の例証だとするものです。これは、如何に「南京虐殺」というものが日本人の道徳的な自信喪失につながったかということを物語っています。
◇徹底した「敵のすり替え」
この『太平洋戦争史』は、「真相はこうだ」という十週連続のラジオ番組にもなった。その中でやったことは、敵をすり替えることであった。
敵はアメリカではないんだ、あなた方を侵略戦争に駆り立てた一部の軍人と政治家が悪いんだと、敵は日本の一部の政治家と軍人だという風にすり替えたのだ。
この「真相はこうだ」は、『太平洋戦争史』をラジオ・ドラマ仕立てにしただが、例えばその一部はこうである。
アナウンサー・「我々日本国民は、我々に対して犯された罪を知っている」
声・「我々は罪を犯した軍国主義の軍人が誰かを知っている」
複数の声・「誰だ、誰だ、誰がやったんだ?」
アナウンサー・「まあ待って下さい。三十分のうちに名前をお教へします。犯罪の事実も、お教えします。事実を基に皆さん一人一人が結論を出し、日本の犯罪人に対する審判を下して下さい」(音楽は最高潮に達し、やがて消える。)
アナウンサー・「この番組は日本の全国民に、戦争の真実と戦争に至る出来事をお伝へするものです。暗闇に光を当てる、あなたの為の番組なのです」
と、日本人の「戦争犯罪者」を暴き立てるという構造でずっと続けたわけです。
それに対して、文学者たちが批判をした座談会が、ある雑誌に載りました。ところがそれは、全部削除されています。座談した文学者は、石川達三、中野重治、河上徹太郎、中島健蔵、舟橋聖一と
、錚々たるメンバーです。
河上・「どう思うね。つまり『真相はこうだ』なんてのは」
中野・「あれはいかんね」
河上・「あれぢゃもう一つその裏に『真相はこうだ』がいるな。『真相はこうだの真相はこうだ』とい
うのが。
中野・「あれは放送局がいかん」
石川・「あれは進駐軍の指図でやったのだろう」
中野・「どこの差し金か知らんけれども、英語ではあれで通過したかも知れないけれども、あれは
ウソだ。あんなのをやるのは、放送局が不埒だ」
石川・「実に軽薄だね。ああいう軽薄な暴露ならば何も作家がやらんでも、どなたでもやって下さい。
ああいう作家のやり方は、自ずから別のものがあるべきだと思う」
このように、真っ当な批判をしたものは検閲で全部消えてしまうのだ。痕跡がどこにも残らない。
◇思想戦に敗れた日本人
戦時中は「鬼畜米英」と言っていたのが、マッカーサーへの直訴状を見ると、「女子学生の憧れの的マッカーサー」、「偉大なる救世主マッカーサー」へと、八月十五日を境に一気に変っている。毎日新聞は、マッカーサーがアメリカへ帰る時、絶賛する記事を書いた。国会ではマッカーサーへの感謝決議がされた。
もちろん、占領軍がやったことはみなマイナスであったとは思ってはいない。プラスの面もあったと、それは正当に評価しなければならない。しかし残念ながら、日本人は昭和二十年八月十五日という日に、実は思想の戦いが始まったのだということを自覚しなかったのだ。
日本人は占領軍を「解放軍」と呼びました。戦争の苦しみから解放されたという意味で、そう呼んだ気持ちが理解出来ないわけではない。しかし、明らかに思想的・文化的には抑圧された政策が行われたのに、そのことに対して日本人がどれだけ主体性を持っていたかということが、問題なのである。
同プログラムの第二段階では、戦争映画を作った。これは三千万人が観たと言われている。これは、日本の軍部や一部の政治家たちが如何に日本を戦争に導いたか、ということを徹底して扱った。
例えば、大映製作の『犯罪者は誰か』は観客三百万人、松竹が作った『喜劇は終りぬ』が観客三百五十万人、松竹の『人生画帖』が観客三百万人、松竹『大曽根家の朝』が観客四百万人、『民衆の敵』は東宝製作で二百万人という具合である。
『犯罪者は誰か』は、勇気ある政治家が戦争に反対し、軍国主義者による抑圧にも拘はらず勇敢に転向を拒否する、という内容だ。『喜劇は終りぬ』というのは、日本の戦時の官僚制と軍国主義的な圧制に向けられた風刺映画だ。『人生画帳』は、時局迎合的な戦時の恐喝者に関する風刺と、こうした者の戦後の行為を、その使用人で日本再建に邁進している者とを対照させる風刺映画。『大曽根家の朝』は、軍国主義の台頭のために地位を失うけれども、降伏の日に圧政から解放された一家族のドラマです。『民衆の敵』は、軍国主義者と財閥の悪が描かれている。
こういう調子で、三千万人が観た映画が作られている。そうしてその中で、徹底して日本の軍国主義者が告発されている。つまり、敵はアメリカではなくてあなた方の中にいたんだという、敵のすり替えである。そのことと、日本人がアメリカに対して敵愾心を持たないで「解放軍」と呼んだことは深い関係がある。
◇徹底した検閲
第三段階でやったことは、一つは原爆投下の批判を許さないという、徹底した統制を行った。
先程申し上げた、朝日新聞が発行停止になったのは、鳩山一郎さんが原爆投下を批判したコメントが載ったことが占領軍の逆鱗に触れて起こったものだった。
もう一つは、東京裁判の判決を批判するような報道を一切禁止したことである。
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と検閲とは表裏の関係でありまして、一方で例へば「大東亜戦争」という、日本の価値観を表現する言葉を、全ての新聞・雑誌・単行本から徹底して削除し、他方では「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」により、「罪の意識の刷り込み」と「敵のすり替え」を徹底して宣伝したのである。
「大東亜戦争」が消えて「太平洋戦争」に変ったということは、単なる呼び名の問題ではない。
。これは、戦争をどう見るかというパラダイムの転換を意味する。故に非常に重要なことなのである。
検閲の例で申しますと、昭和二十一年二月四日に、「教科書検閲の基準」が出来ている。
どういう言葉が禁止になったかというと、まず天皇に関する言葉、例えば「現御神」。これは今の大学生には読めない。みな「ゲンゴシン」と読んでしまう。これは、こういう言葉が禁じられただ。その他に「現人神」等、天皇に関する言葉はほとんど禁止されたのである。
二番目は日本の国が外国に進んで行く、国家的拡張を表す、「八紘一宇」「躍進日本」「南進日本」等の言葉が全部禁止された。
三番目に、「国家」「国民」「我が国」という言葉も否定された。これはつまり、愛国心そのものを否定したものである。
ここに、戦後の教育に対する大きな影響を与えたものを見て取れる。単に軍国主義を否定しただけではなくて、愛国心そのものを否定したのだ。従って国家的英雄を否定したから、東郷元帥もその後ずっと出て来なかったのである。
「我が国」という言葉を消した最も分かりやすい例としては、家永三郎さんが最初に書いた歴史教科書『国の歩み』の検閲がある。この中で家永さんは、「我が国を立て直す」という言葉を使った。
英語に訳すと "reconstruct our country" となる。この「我が国」の "our" は愛国心につながるから駄目だとして、まず占領軍は削除した。 "re" というのは接頭語で「再び」という意味ですが、
良い国があったということを認めることになるからとして、これも消した。そうして"construct
a democratic country"と、"a democratic" を挿入して、民主主義の国をこれから初めて作るのだ、というように書き換えた。こういう検閲の例が、社会科の教科書だけで百箱存在するのだ。
一番厳しい検閲を受けたのは、神話である。世界の教科書で、英雄が出て来ない教科書は一冊もない。国家的英雄が出て来ない教科書なんてあり得ないのだ。
◇東京裁判史観とコミンテルン史観の合体
もう一つ私が注目したのは、占領軍が共産党を利用して歴史教科書を作らせようとしたことである。
つまり、占領政策とマルキシズムの癒着という問題が、実は戦後の歴史教科書と歴史教育のベースになっている。共産党が日本の国家と歴史に対する最も過激な否定論者だったので、占領軍が意図的に共産党を利用したのだ。
占領軍は、共産党員の多い「歴史学研究会」(通称歴研)の学者たちに教科書を書かせようとし、或いはラジオ番組で「ラジオによる日本人民の歴史」を作ろうとした。アメリカの陸軍情報部が「フレンドリー・ジャパニーズ」(友好的な日本人)という文書を作っていて、「占領軍に協力することが期待される人物」三百六十三名をリスト・アップしている。その教育関係者の中には、たくさんの「歴史学研究会」のメンバーが含まれている。つまり、占領軍は共産主義者を最初から「友好的な日本人」としてリスト・アップしているのだ。或いは、「フーズ・フー・オブ・ジャパニーズ・リベラル・エデュケイター」、リベラルな教育者のリストとして、これも歴研のメンバーがずらりと並んでいる。
やがては朝鮮戦争が勃発して、レッド・パージの時代となって共産主義を排除して行くのだが、実は占領政策というのは殆ど占領初期に作られたのである。その占領初期においては、アメリカの占領政策とマルキシズムとが合体して歴史教育作りをしていた。
最近では、コミンテルン史観と東京裁判史観が合体したという言い方をしているが、これも一つの重要な視点である。 一九三二年、コミンテルン(日本共産党はその支部)は、世界を共産化して行くためのテーゼを出した。東京裁判は、満洲事変以降─(私たちは「十五年戦争」として学びました)─の歴史を裁いたのだが、日本の歴史教科書は日清・日露戦争まで侵略戦争として書いている。その歴史観は、東京裁判史観に基づくものではありません。コミンテルンの一九三二年テーゼは、共産革命のためにはまづ明治の「天皇制絶対主義国家」が侵略の源であるとしてこれを打倒しなければならないとした。つまり、明治の時代から侵略として捉へるのは、実はこのコミンテルン史観に源を発しているのだ。
アメリカの東京裁判史観と、ソヴィエトに起源を持つコミンテルン史観という、全くあい異なるものが占領初期において癒着し、そこから歴史教育が始まっているのだ。そうして今や時代はもう全く変っているのに、その不思議な癒着が未だに根底をなしているである。
◇自己信頼の欠如
欧州十二ヶ国は、四年かけて統一教科書を作った。これは大変なことだ。例えば日本と韓国で統一教科書を作ることが出来るかといえば、共感的に理解することなら出来るかも知れないが、到底不可能だ。
欧州十二ヶ国の統一教科書を読んでみると、そこにはアジアの植民地支配のことは書いていない。イギリスの教科書には、アヘン戦争のことは一行も出て来ない。
つまり、自分の国に都合の悪いことは、書いてないのだ。
どこの教科書でも、義務教育の歴史教科書はことごとく自国の歴史の良い点を教えている。つまり、まづ自己尊重を教えているのである。
これは非常に重要なことで、信頼の回復ということは、登校拒否や歴史教育に共通するテーマである。誇張と隠蔽が信頼を損なうのだ。
例えば、所謂「従軍慰安婦」の「強制連行」を言うのは、明らかに誇張です。慰安婦がいたことは事実だ。だから、慰安婦は一人もいなかったと言へば、これは隠蔽になる。「南京虐殺」が三十万もあったと言うのは誇張です。一人もなかったと言うのは隠蔽になります。でも、三十万とゼロとでは、限りなくゼロに近いのある。
誇張は日本人の自己信頼を失い、隠蔽は世界からの信頼を失う。本当の意味で、自国への信頼ということは、自国の良さをしっかり教えて、それから今度は、反省すべきことを考えて行くことなのだ。
ところが日本の教科書は、まず自国の立場をキチッと教えることをしていない。日本の中学校の教科書は、なぜ「近代」の扉を、反日義兵闘争の、日本に銃口を向けている写真にしているのか。ソウルの刑務所から出て来て万歳している人の写真が、なぜ日本の中学校歴史教科書の「現代史」の扉になるのか。これでは韓国の立場ではないか?
つまり、まず日本の立場をきちんと理解して、その上で例えば韓国の立場で日韓の歴史を考え、アメリカの立場で日米の関係を考えるという、そういう子が高校や大学で出て来ることは必要だ。
まず自国への尊重を教える、そこが日本の教科書では抜け落ちている。何故抜け落ちているかというと、占領政策、つまり戦後の出発点において、国を愛すること自体を危険だと考えたことによる。これを「国家的自閉症」と呼ぶ。これがずっと尾を引いて来たのだ。
四番目は、道義的人物としての皇族が日本にいたということに触れてはならない、つまり、立派な皇族がいたということに触れてはならない、というものだ。
天皇のみを中心に歴史を書けば、これは「皇国史観」の批判を受けるだろう。しかし、明治天皇を抜きにしては明治という時代は語れない。これは客観的事実なのだ。
ところが日本の歴史教科書に明治天皇は正当に書かれて来たかと言うと、ことさらその存在は消えてしまった。昭和二十一年二月四日という遙かな昔にGHQにより強制されたことが、未だにトーンとして流れているのだ。
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
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