アジア諸国に多大なる不幸をもたらした先の大戦の「責任」は日本人の
すべてにある、という見方は或る外国から見れば多分あり得ないわけではない。
“日本人”に「天皇ら」が含まれることは言うまでもない。
当時の一般国民が悔やんでも悔やみ切れない「責任」とは、
  ① 何がゆえに、天皇及び其の股肱等の無謀な戦争を見抜けなかったか、
  ② 何がゆえに天皇一族や戦争指導者らに対して大規模な反逆行動を組織し、
     こいつらを一網打尽に撫で切りにしなかったか、ということだろう。

そもそも「責任」とは何か。
例えば、法学的責任論的立場から言えば、簡潔には、行為者がその行為に
よってもたらした結果につき、社会的に非難されるべき責め……とでも
表現すれば分かり易いかも知れない。してみれば、アジアに惨禍をもたらした
戦争につき、対外的にはともかく、対内的にも自らを社会的非難を浴びて当然だ
と思う人もいないわけではないが、多くの国民は戦争指導者に大きな戦争責任がある、
と考えているであろうし、国際社会もまたそういう考えを容易に受け入れるであろう。

古来、“上の者が「責任」をとる”のが日本の伝統である。例えば、ある企業に
おいて社員の多くが企業犯罪に関与したとしても、その「責任」を執る者はトップ
及びこれを補佐する者並びに重要な関与者である。特にトップの場合は、そいつが
何等関与していなくても「責任」を問われるのは当然である。その意味で、天皇こそ
最も重大な戦争責任者、従って第一級の戦争犯罪人であると言える。
以上のように、或る行為につき、「責任」をとって罰を受けるべき立場にある者共を
われわれは一般に「責任者」と言うのである。

そんなことも知らないで、只単に“戦争責任は開始した者、参加した者総てにある”
などとトップも幹部も平社員も新米も同列に扱う責任論など、どこの世界にもありゃしない。
特に、強制的に特別攻撃隊に組み込まれて死に追いやられた紅顔の青少年にまで“責任”
を押しつけるとは全く以て言語道断、許されざる不見識と言わねばならない。
極右というものはこのように、東条英機の名誉を守るためなら他の何ものも眼中には
ないのである。
極右共の全体をぼやかす目的は、東条等の戦争責任を隠蔽し、A級戦犯に対して拝礼する
ことを正当化するための策謀に過ぎなかろう。

東風 wrote in message <_3RUg.329$O06.188@news1.dion.ne.jp>...
> 戦争責任は開始した者、参加した者総てにある。