仰せのとおり、触らぬ神に祟りなし。
一般の日本人の感覚は、そのとおり。
しかし、それこそ、欺瞞の象徴です。
その古き友好国から、指摘を受けた。
これを政治問題としなければ、○○。

"東風" <sanny411@d1.dion.ne.jp> wrote in message 
news:R35Lg.258$O06.201@news1.dion.ne.jp...
>  靖国問題は重要な政治問題だろうか?
>  中国の首脳が日本の首相が靖国神社に参拝する限り会わないと言っても、何等不都合は無いと考える。
>  中国には中国の言い分があり、日本には日本の考え方がある。
>
>  中国共産党は日中国交回復の時に一つの考え方を示し、国交を回復した。即ち「小異を捨てて、大同につく」との考え方である。
>  この際、国内向けの教育は、戦争責任は日本の指導者にあり、日本国民も戦争の被害者であるとの方向に変更している。
>  即ち、戦争被害者である中国国民と日本国民は共に協力しなければならない、との趣旨の談話があったと記憶している。
>  この考え方から言えば、戦争責任は当時の指導者に存在し、常に日中間で問題が起こればその時の指導者が悪い事になる。
>  即ち、問題が起これば、常に日本の指導者が悪くなり、都合の良い事に日本の指導者、即ち首相は長くても数年で交代する。
>  彼らは彼らに取って都合の良い首相が選出される迄待てば良い事になり、その間は常に靖国問題を取り上げれば良い事になる。
>
>  さて、本当の戦争責任は誰に有るのだろうか?
>  単に、日本の軍部だけに責任があったのだろうか。
>  当時の国際情勢、国内状況を勘案して見ると、有る面止む得ない状況であったとも言える。ABCD同盟の包囲網、国内凶作、不況、ロシアの南下政策等、必ずしも戦争を回避出来たとは思えない。
>  確かに中国東北部(旧満州)への進出は、其処にに住む人々に取って見れば、ある日突然に農地を奪われ生活の基盤を失う大きな出来事である。満蒙開拓団の記録を見れば、日本人は開拓に行ったのでは無く、農地の強制収容が実体であった事はほぼ間違い無い事実の様だ。 その意味では満州国設立自体が間違いと言えるが、対ソ戦略から見れば有効な手段であった事は違いない。 益して国内の経済状況から見れば、有る面必要な対策とも言える。
>  残念な事に、其処に国家の体をなす者は存在していなかったのが実情では無いだろうか?。清王朝が崩壊し、軍閥が幾つも存在し、事実上交渉出来る相手が存在しない状態であったとも言える。
>  当時は国民政府と共産党との抗争の最中であり、適正な交渉相手が居なかった事も事実だろう。国共合作はもっと後の事となる。
>  
>  国の秩序が崩壊すれば、国民が多くの犠牲を強いられる事を感じるが、その時期に反戦を唱え、且つ徴兵拒否を行った人が何人いたであろうか。 その意味では、対中国戦争で恩恵を受けた人、好むと好まざるに関わらず参戦(銃を持った人)は総て戦争犯罪人であり、一部の人々が戦争犯罪人とする考え方には反対である。
>  まさに、一億総懺悔すべきである。
>
>  このことと、靖国神社の問題とは全く別である。即ち、自らの命を犠牲にして、国の為に亡くなられた人々に礼を尽くすのは当然であり、国の為に命を失った人々を顧みずして国の為に働く人々は存在しない。多くの国でそうであるように、国の為に犠牲となられた方、自ら妻子の為に銃を取った人々を無視して国軍は成り立たない。国軍も警察もいらない国際秩序は想定出来ないし、軍も警察も居ない国は国としての体裁をなさないと思う。
>
>  外国の中傷に敏感に反応するのも悪い事では無いが、先ず自らの姿勢を明確にして、毅然と対応するのが大人の世界と考える。