30日のNHKの「その時歴史が動いた」で吉田茂元首相のサンフランシスコ講和会議で、賠償も領土割譲もない寛大な対日講和条約が締結されるまでの秘話が紹介された。改めて吉田の外交感覚の偉大さが思い知らされるものであった。
 吉田は、「戦いに敗れて外交で勝つ」「敗者は良き敗者となることが勝者を良き勝者とする所以である」との外交哲学を持って、日本の国益と将来を考えたのだ。
 第一次大戦の対独講和で、連合国は多大な賠償を課し、それがドイツを天文学的なインフレに落しいれ、ドイツ国民に塗炭の苦しみを強いることになり、それがヒットラ−のナチス台頭に繋がったことを身を持って感じていた吉田は、日本がこの轍を踏むようなことになることを絶対に避けねばならない、と決意したのだ。
 当時、米ソの冷戦が始まり、米国にとって、日本がソ連、中国の共産圏に対峙するアジアの砦であることを見抜き、機の熟するタイミングを計って、この点をアメリカにクロ−ズアップすることによって、日本有利な講和条約に導く工作をしたのだ。
 そのためには、日本は軍備を持たないから、米軍の駐留が必要になる。それは中ソが反対する、という難問があった。それを回避するために、ソ連抜きの「単独講和」を選択するとともに、日本から「日米安保と米軍の駐留」を求めるという形にして、この難問を解決したのである。
 こうして寛大な講和条約を勝ち取ることができたのである。まさに「戦いに敗れて外交に勝った」のだ。
 このような先見性と状況判断、外交戦略に優れた吉田に比べて、靖国参拝我執の小泉外交の国益無視、拙劣さ、お粗末さは見るに耐えないものがある、と言わざるを得ないのである。
 村上新八