「髪の毛を一本抜いても禿にならない」でしょう。では、「もう一本抜いても禿にならない」でしょうか。これを繰り返すとどうなるでしょうか。この矛盾はことばの曖昧性に由来していると思われます。一般的に極論すると物事の正誤が明確になるように思われます。



 そこで、犯罪被害者の匿名問題と権力の意向について、極論的に考えてみようと思います。



 犯罪被害者の保護という側面はとても重要な側面であると思います。そして、正当な情報秘匿も少なくないのかも知れません。しかし、主権在民の民主主義国家では主権者たる国民が委託している権力は、その「権力(強制力)」の不当行使から国民を守るために監視され、告発されるべき根源的属性を付帯しています。



 警察は何のための組織でしょうか。誰のための組織でしょうか。警察は国家のための組織であり、国家存立にとって、一介の国民の不利益よりも組織防衛の方が重要であるのでしょうか。国家とは誰のためのものでしょうか。国家のための警察組織を防衛するために、不都合な情報は秘匿し、組織にとって都合の良い捏造データを流布させるのでしょうか。国民のための利益よりも組織のための利益が第一義として処理されていないでしょうか。さらに煎じ詰めれば、むしろ組織防衛のためと言うよりも、実は自己防衛のための組織防衛であることが少なくないのではないでしょうか。国民が権力に期待する「国民のための利益」は日常の勤務と自己の生活防衛の中で埋没させられている例が少なくないのではないでしょうか。



 そもそも、いかなる人間にも、いかなる組織にも過誤は避けられないでしょう。まして、国民の中から選ばれた最良の人材で警察が組織されているとは国民の誰も思っていないでしょう。警察に過誤があったとしてもやむを得ない場合も少なくないでしょう。交通事故や医療事故と同様に検察や警察自身も公平にそして公明正大に過失を認めたとしても、国家は危機に陥ることはないでしょう。大多数の国民の最大幸福のための組織防衛は許されるでしょう。しかし、権力の自己防衛のための組織防衛は許されないのではないでしょうか。



 大多数の国民の利益を第一義としない組織防衛のための情報秘匿は、「無知な国民」「無関心、無気力な国民」「虚飾と暗黒の警察国家」を生むのではないでしょうか。人間の尊厳を保障されないそんな国から善良で優秀な人々は、いなくなってしまうのではないでしょうか。