仰せのとおり、その自由の讃歌は、"スッタニパータ(奥義書)"に。
その百番目の経に、感動しない人は、居りますまい。
その釈尊も、この世に生を受け、天上天下唯我独尊。
誰でも、みな、この世界の中心。
それが、解ったというのは、解らないから。
それが、解らないというのは、解ってるから。
その逆説の教祖は、人にして人にあらずの人でなし(仏陀)。
伝説によると、そのゴーダマシッタルダは、強い縮れ髪の大男でした。

"Joe Keen" <mgpot@hotmail.com> wrote in message 
news:44812b29.3283%mgpot@hotmail.com...
> カントやヘーゲルの流れを汲む自由主義における"尊厳"に近い概
> 念は、古代より人類の文明のあちらこちらで見られたと思います。
> 古代ギリシアでは、これを"テューモス"と呼んでいたようです。
>
> 尊厳とは、生き方へのこだわりのことです。私はそのこと自体に最
> 初から無条件に価値があるとは思っていません。"俺は決して働か
> ない"というこだわりもあるかもしれません。どちらかというと、
> 尊厳の内容は、非合理なことが多いのです。
>
> 尊厳の反対側に来るものは、したがって、多くの場合には合理性で
> す。合理性の核となる部分は、私が思うに、この宇宙のあらゆる生
> 命体を突き動かす衝動「生き残れ!」だと思います。
>
> 人間の場合、人生というのは、生存と尊厳のせめぎあいに特徴付け
> られます。
>
> 人間というのは集団で暮らす性質のある生き物です。集団において
> は、構成員それぞれの役割を果たしつつある程度まとまって行動す
> る必要があります。
>
> ところが、集団が個人の尊厳をあまりに抑圧すると、尊厳というも
> のがとても貴重なものとなります。国家規模の暴力的な革命という
> のは、個人が自らの生存を危険にさらしてまでも尊厳を守り、権力
> と戦う時に起こるのです。尊厳を求める民の爆発的な行動が、幾度
> となく、国家体制を消滅させ、歴史に新しいページを開かせてきた
> のです。極最近の例では、大恐慌時代のアメリカと20世紀の後半の
> ソビエト連邦が比較のための好例で、ソビエト連邦はアメリカのよ
> うに失業率が25%なんてひどい状態にまで追いこまれはしなかったも
> のの、尊厳を抑圧していたために、国家体制は崩壊してしまいまし
> た。
>
> 経済において、モノ/カネ が適切なところにある必要があることと
> 同様、政治においては、生存/尊厳 が適切なところにある必要があ
> るのです。モノ/カネ がデフレ状態になると経済はうまく行かなく
> なりますし、生存/尊厳 がデフレ状態になれば、政治はうまくいき
> ません。
>
> 一般にいう自由主義というのが画期的なのは、個人の尊厳の価値の
> 高騰を抑制するためには、それをふんだんに認めればよい、という
> ことに気がついたことです。きちんとした自由民主主義国家の間で
> 戦争がまったく起こらないのは、生存/尊厳 の相対的な値が高くなっ
> ており、国民が戦争よりも合理的な解決を求めるからです。
>
> かくして、世界は自由民主主義の時代に突入しており、自由民主主
> 義体制をとっている国々とそれを目指して歩んでいる国々をあわせ
> ると、世界の国々の八割を超えます。
>
> 私自身が尊厳について考える時には、それを個人の側と国家の側の
> 両方の視点から考えます。個人の視点に立って尊厳を考えるときに、
> 私の中にはある種の人道的な情熱があり、国家の側から考えると、
> 尊厳をどれくらい認めれば個人が合理性に帰るのだろうかという思
> 案があるのです。
>
> 尊厳というのは扱いが難しいものです。人類は数千年に渡って、そ
> れをどう扱うのか、思索してきました。
>
> ――
>
> アンケート
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