Re: 汐見橋支線
古寺です。本日?の再検証の報告、こちらからは最後として複数記事ま
とめてフォローです。
Message-ID: <060525231717.M0131645@smr04.gssm.otsuka.tsukuba.ac.jp>
kuno@gssm.otsuka.tsukuba.ac.jp さんwrote:
>> 高野線側から見ると、難波直通系統と汐見橋系統がY字に分かれて、汐見
>> 橋へ向かう電車は南海本線を接続無しにくぐってしまっていた訳ですね
>> (元々別会社なだけに)。
#↑なんかここでシレっと「くぐってしまって」なんて書いてるのが、
#後で久野さんが上下関係を書き間違える要因ですかね(_o_) 南海本線
#の新高架が立ち上がった後の、旧高野線岸ノ里付近の高さ関係の印象
#からの、記憶読み出し誤動作と思われます。
> なるほどそうなんですね。汐見橋支線から南海本線の高架へ上るとこ
> ろに右への(地上駅への)路盤が残ってましたが、新しいビルが立ちふさ
> がって終わりになってるのが印象的でした。
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E135.29.48.7N34.37.41.8&ZM=12
の付近ですね。
以前挙げた高架工事関連サイトの図にも有った様に、この連絡線もしっ
かり複線で作られてたのが大私鉄っぽいというか... この南側で現岸里
玉出のホームへ入る新高架に繋がりますが、もとの高野線高架より高く
なっていて少し上ってます(上記、高さ印象から来る誤動作の件)。
立ちふさがる新しいビルの南側は、細長くカーブした新興住宅地のよう
になっていました。
>> 立派と言えば、高野線のホームがほぼ丸々必要長(実際に使ってる分)の
>> 2倍近くの長さが有りますよね。あの使われてない先っぽの方が旧岸ノ里
>> 駅でしょう。
>
> そういえば、先端は柵で仕切られてましたね。
柵が約2両分ずつ2ヶ所有る。すなわち、ホームが難波よりに約4両分ずれ
る過程が2段階だったと思われる痕跡となってます。ここは最初に降りた
時の他、車内から見えても引っかかるポイントでは有ったのですが、今
日見て書き漏らしてたことに気づきました。
先の自己フォロー記事にも挙げた、
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E135.29.56.7N34.37.31.3&ZM=12
の中心点マーク付近に旧連絡通路(と改札)への物と思われる階段跡が有り
ます。一段目の柵(現在入れる)が道路のガード上、二段目の柵(最初の変
更時?)が阪堺線の宮ノ下跡付近の上。この地図はホームをここまでとし
ていますが、別の地図サイトや古い地図だと
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E135.29.59.9N34.37.26.5&ZM=12
あたりまでの未使用ホーム部分が描かれてます。
#高野線は旧ホーム位置のまま描き直さず、そこから延々通路が伸びた
#ままのものも。
Message-ID: <e596f2$15p$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp>
Masahiko KODERA wrote:
> 過去の痕跡が無いかと地図サイトを3つ見ましたが、高野山方面行き
> のホームが柵で使用停止になってる部分まで全部描かれてる(航空写
> 真的に区別が着かないからか^^;)...にしても、認識より下り方に
> よってるけど。これ、岸ノ里時代の1970年ホームの位置なのかな?
現地を歩きながら、国土地理院の地図に連動しちゃうのかな?とか
思って帰って来たのですが、ここまで挙げてる様にmapfanがどうも、
この時点(5/27)と違って、ここまで挙げて来た様にほぼ現状通りに修
正されてる様に思うんですよねぇ(^^; 5/27は、確かに旧地図の位置
になってたような、なんだけどなぁ。
Message-ID: <e54k0n$j0o$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp>
Masahiko KODERA wrote:
> 高野線から難波方を見ると「連絡線」は天下茶屋へ向かって地平へ下
> りて行ったのが旧線形で、汐見橋との分岐点から帝塚山方は阪堺線も
> 跨いでいる古い高架です。
> となるとやはり、岸ノ里駅時代だった高野線の方のホームは、難波連
> 絡線と汐見橋方が分岐するより帝塚山寄りの高架上に有り、現在より
> 更に遠くにあったということでしょうか...
今よりさらにこのホームが遠かったらしき理由を、連絡線と汐見橋へ
直進の旧線との分岐が有ったせいかとの推測していたわけですが、こ
れについては正解らしい痕跡を見つけてほっとしました。
まず階段跡が築堤上より法面にオフセットされていること。
そこから難波へ向かって徐々に、築堤の土盛りが現在線よりカーブの
内側に広がって行くのを、現ホームの下に見る事が出来ます。これは、
築堤下の道より、高野線難波方面上りホームから、下りホーム下を覗
いた方がよく見えます。
現ホームから難波方は、新高架に連なる新しい高架橋構造になってい
ます。
というわけでこちら側の、いにしえの汐見橋方面直進と西連絡線分岐
跡は、連絡コンコースに近づけた現ホームの下に埋没。
1985年の旧ルート分断により、両線のホームをより近づける事が可能
になった結果の移設のようでした。
以上。
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
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