ナゾカケロシン(A)
・ナゾカケロシン(A)
16.バックノイズ《記憶撞着》
プロフェッサー・レオは思わせぶりに考える振りをしていたが、すぐ
何かを決断したように上着をキザっぽく脱ぐとそばの椅子に置いた。
「ひさしぶりに《俺の敵》と歓談できてたのしかった。
残念ながら時間のようだ、
できれば君のような人材を仲間にほしかったのだけど
まあ、本人の意志を無視するわけにはいかないからね
ここはあと30分もすれば跡形もなく粉々に爆発して消滅する。
つまり、俺はひとりでここから逃げてしまうわけだ。
万が一にも《俺の敵》たるものが
こんな危機を切り抜けられないものとは思えないが
念のために言っておくが、ここを破壊する自爆装置は
石油コンビナートが一度に引火したぐらいの破壊力があるから
グランド・ゼロから20キロは離れてないと
死体が人間のものと判断できなくなるから気をつけるんだぜ」
そんなことを喋りながら、彼は椅子に腰掛けて3点式ハーネスのシー
トベルトを掛けると肘掛のところにあるレバーを引いた。
白煙が舞い上がり、大きな音とともに天井が崩れると天板が落ちて覗
いた青空めがけてプロフェッサー・レオの椅子は戦闘機の座席が脱出
するように飛び上がり消えていった。
ぼくはしばらくこの有様をぼんやりと姫ちゃんと眺めていた。
「これで終わったのかな」
「そうみたいです。
この研究所は証拠隠滅のために爆破され
しばらくはあの組織もナリを潜めて静かになるです」
ぼくは考えた。「それって解決になってないじゃん」
そう、悪の組織を殲滅した訳でも悪い怪人を倒したわけでもない。
秘密を暴かれた悪者が
自分好き勝手なセリフを吐いて
自分からとんずらしただけ
ぼくはそれを眺めていただけ
あどは風がふいているだけ、ああ、吹いているだけ…
ぼくは姫ちゃんを見た。姫ちゃんはもじもじしてなにか言いたそう。
「なんか変じゃない」
「忘れていると悪いので言いますです。
ここはもうすぐ研究所に仕掛けられた自爆装置で
粉々に吹っ飛ぶですよ
師匠は逃げなくてもいいですか」
ぼくは姫ちゃんのいうことが理解できなかった。
「姫ちゃんはどうするの」
「姫ちゃんは研究所が吹っ飛んだら消滅するですよ
師匠も一緒するですか
ちなみに姫ちゃんの計算ですと
かなりのスピードでないと
爆発時の衝撃波から逃げられないですよ
師匠は自動車とか用意しているですか」
ぼくは自動車くらい駐車場に行けば置いてあるだろう程度で考えてい
たので、のんきに構えていた。そして、それより姫ちゃんの言葉が気
になった。
「姫ちゃんは消滅しちゃうの?」
「仕方がないです。
姫ちゃんはここのシステム上に構築されているです。
プログラムを移動させる手段もないです。
師匠、お別れです。
短い間でしたが姫ちゃん師匠に逢えて楽しかったです」
姫ちゃんは大粒の涙で目を潤ませた。ほんとうにこれが人工知能の挙
動なのだろうか、ぼくはどうしても姫ちゃんの存在が架空のものとは
割り切ることができなかった。
「姫ちゃんのプログラムってどのくらいの大きさなの」
ぼくは念のために聞いてみた(ステップ数で答えられたたらどうしよ
う、と変な心配をしながら)
「受け答えの部分はPerl のプログラムで300行くらいです」
うっ、うそを…、天才人工知能完成、ただしPerlで300行みたいな。
「師匠、姫ちゃんのことはいいから
はやく逃げてください
ほんとうに姫ちゃんと一緒に消滅してしまうですよ」
「う、うん」
たしかに姫ちゃんの言う通りだ、ぼくは姫ちゃんを伴って来た道に向
かって早足で歩き出した。姫ちゃんはぼくに手を引っ張られてついて
きている。
「師匠、姫ちゃんのこと忘れないでですよ」
「姫ちゃん、また作ってもらえないの」
「でもそれは姫ちゃんじゃなくて
べつの姫ちゃんです
姫ちゃんはあくまでも
ここで師匠と一緒にいる姫ちゃんです」
とても300行の人工知能とは思えない答えである。
やおらに、姫ちゃんはぼくの手を振りほどいて立ち止った。
「姫ちゃん、師匠と別れるのがつらいから
ここでお別れしますです」
「姫ちゃん、でも…」
ぼくは言葉を濁した。実際のところ慰めようがない。百歩譲って単な
る人工知能との言葉遊びと割り切ったところで、これほど後ろめたい
ものはない。
「師匠、姫ちゃんお願いがあるです。
冬に山形の日本海海岸では不思議な現象が見られるです。
海に泡がたくさんできて雪のように溜まっていです。
この安定泡沫の現象は丁度姫ちゃんの
ゴーレム《人形》の原理になっているです。
師匠がいつかそんな海岸を訪れたら
姫ちゃんを思い出して欲しいです」
姫ちゃんは涙を見せまいと後ろを向いてしまった。
ぼくは姫ちゃんを振り向かせると、念を押すように姫ちゃんに言い聞
かせた。
「姫ちゃん
姫ちゃんとの約束は必ず守るから
お願いだ、ぼくが見えなくなるまで
ずっとぼくを見守ってくれないか」
姫ちゃんは言葉もなく頷くばかりだった。
それからぼくは時々姫ちゃんを確認するように振り返りして研究所の
外へ走り出した。姫ちゃんは大きく手を振っていたが、そのうち建物
の影に隠れて見えなくなった。研究所はすでにかなり破壊されていた。
ぼくは瓦礫の山を駆け下りる。もと壁だったものを踏み抜いて転ぶ、
ずたずたに千切れた配線にしがみ付いては滑る、それでもなんとか体
勢をたてて走ると前のめりになって落下する。ぼろぼろになりながら
駐車場とやらにたどり着くと、誰かがバイクに跨ってエンジンを掛け
ている。
その人物はぼくを見るとにっこり笑って手を振った。
「ハァーイ
スプリング・ハンター、またお合いしましたですね
世界一美人でかわいらしいトレジャ・ハンター
巷で人気上昇中のネットアイドル『みひ〜☆』ちゃんですよ」
バイクというのはY2Kだった。どうしてこんなバケモノみたいなも
のを日本に持ち込んだか判らないが、これなら爆心地から安全圏まで
逃げられそうだ。闇雲に走ってきたのでぼくは息がはずんでいた。
「ま、まってくれ
はやく、はやく
ここから…」
ぼくは咽が詰まってうまく言葉がまとまらない。
「あんしんして、
ちゃんと連れてってあげるから
でも、しっかり後ろに捕まってないと
振り落としちゃうかもしれないわよ」
彼女はぼくのところまで来るとぼくに手を貸してバイクの後ろにぼく
を乗せた。ぼくが彼女にしがみ付くとちょうどいいところに手を置く
突起があった。
「あっ、
こんなところでオイタしちゃだめじゃない」
彼女はそういうとぱちんとぼくの手を叩き落とした。ぼくは彼女の胸
のふくらみをわし掴みしてまっていた。叩き落とされたぼくの手は行
き場を失ったが、すぐに別の突起を見つけた。こっちはOKらしく、
彼女はなにも言わなかった。彼女の腰骨に手を交差して彼女の背中に
密着するとやわらかな彼女のオシリの感触が伝わってくる。
「ちゃんと捕まっていないとホントにだめよ」
彼女の念を押す声が聞こえると、暴力的に体の肉を骨から剥がされる
ような加速を感じてぼくは気を失った。意識に遠くで姫ちゃんが手を
振っているのが見えた。
17.エピローグ《そして世界はなにも変わらない》
後で聞いたところによると、『みひ〜☆』さんはなにもしらないで、
単に駐車場にめずらしいバイクがあるので「いっただきぃ〜」するつ
もりだったらしい(実際にバイクは彼女がどこかに持っていってした)
あと、ちょっと遅かったら脱出手段を彼女に持ち逃げされて、ぼくは
消滅してしまったかもしれなかった。そう考えると彼女に感謝をすべ
きなのか、恨み言のひとつでもくちにすべきなのか、複雑な思いだ。
スメラギ・サヤカは今回の結果には満足のようだった。怪しい研究所
は跡形もなく消えてしまったけれど、あやしいプロジェクトも霧散し
てしまったようだ(たぶん、ほとぼりが醒めたころ別の形でまた活動
を開始するのだろうけど、それはいいのだそうだ。)組織を壊滅させ
ることは目的ではなく、行き過ぎた活動を抑制するのが目的だったら
しい。ともかく、ぼくは報酬をもらって普段の生活に戻った。
ぼくは朝起きた、今日は別に仕事は入っていないけど、燃えるゴミの
日だから起きなければならない。単調な繰り返し、普通の生活とはそ
ういうものだ。この日に限って、ぼくはこの単調さに幸福を感じる気
がした。ゴミをまとめて近くのゴミ集積場までサンダルをペタペタし
ながら歩いていく、近所のおばさんもゴミを出しにきている。
「おはようございます」
ぼくは機嫌よくおばさんに挨拶した。
おばさんは振り向いて、ぼくを認めると、にっこりと微笑んだ。
「あらっ、スプリング・ハンターさんじゃない
近くに住んでたんだ
わたしぜんぜん気がつかなかったわ」
おばさんと見えたのは、ジュエルだった。無事だったんだ。
そうだぼくはスプリング・ハンターだ。
温泉《スプリング》を狩る人《ハンター》じゃない、追い求めている
のは温泉《スプリング》じゃなくて、春《スプリング》なんだ。
ぼくはジュエルに研究所であったことを話そう。そしていつか二人で
海に行こう。幸せな記憶がぼくの中で消えてしまうことのないように。
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のりたま@おわった、もうやだ。
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