神道国学の世界的な思想の継承と普及は人類のために必要です。

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私が言うのは神道ではない方の原始・自然教的神教だ。これが神道にも根っこにつながっていて、戦後国民からの熱い要望から社会党員が率先してA級戦犯の遺族の保護を願いでて、彼等にも遺族年金を、ということになった。そのためには靖国神社にまつらないと年金をやるわけにはいかないということで、合祀することになったそうだ。でも裕仁天皇はやんわりと反対の意思を宮司につたえたそうだが、時の宮司は強行に合祀したので、裕仁天皇はその後参拝をしなくなったという。

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その通りです。靖国神社は神道国学とは完全に異質の神道国学です。昭和天皇は嫌われたのではなく靖国神社の宮司には付いて行けないと意思の表示です。それは現在でも心が継承されています。

確かに神道国学は世界的な思想体系です。その明確な辞気の差は「二列二連伏字の法則」その辞気を立証する精神の魂が「業徳之中空坐気」の人間的な修行であります。

端的に歓談に其の思想体系は証明できるのです。即ち「アラブ」と「イスラエル」の民族の抗争。その根幹に宗教思想の抗争。それらの全ての思想体系は神道国学の言う「二列二連伏字の法則」の内示する思想体系で包括されるのです。
その現実の実証と証拠は、人間社会が二列になれば「抗争と戦闘」ニ連に慣れは「抗争と戦争」伏字は「相手の思想侵略」それらの総合的総括は永遠に地球上から和平の精神と其の魂を奪ってしまう。

処が神道国学の「二列二連伏字の法則」を神道の修行として「業徳之中空坐気」の業は自らの心と魂に教育効果を齎し、聖徳太子の「和を以って

            尊しと為す」神道の極地に人間の心と魂が定着して行くのです。

それは神の世界和平の尊い神聖な神道国学の辞気で有ります。原始宗教的な神道国学の辞気で有ります。

                      神道国学者