神社側は先の戦争をやむをえない戦争だったと位置ずけています。
            (神社のホームページQ&Aで確認出来ます。)

            それでは、先の戦争で亡くなった方々が我々に何を教えてくれたのか?
            私はあなたに、それを聞きたい。
            ↑      ↑
            生きている人も一人。死んだ人も一人。人の生死は一人です。
            原爆で多数が死んでも同時多数死です。

            先の戦争で亡くなった人は全人類に直ちに教えます。戦争で死んだと・!
            そして人々は思うのです。戦争とは何だよょ。と・・・・
            戦勝国は戦死を尊び・敗戦国は賊兵と罵られる。しかし共に戦死霊祭祀され。
            人間とは得手勝手なもので、社会的な地位を死者に対しても差別する。
            そして人々は言う。法的な平等社会の建設を・共産党は特別に言う。

            A級戦犯は生前の罪人である。死して「何罪」閻魔大王に聞きなさい。
            中国共産党は狂ってる。

            そうなんですよ。先の大戦で我々に教える戦死者はそれぞれの自由霊魂。 

            生きている人々に思いなさい。考えなさい。思考しなさい。探しなさい。と 

            人々に教えます。その教えを信教と言う。そして信教は自由と言う。

            生きている人々・それぞれが様々な思い出合碑祭祀霊に教えられます。
            共産党の様な統一された教えとでなく・信教は自由という死者から教授です。

            そして人々は過ちに気付き・次なる人間の社会の建設の為に・!?

            広島市の原爆記念碑に「過ちは再び繰り返しませんから」と記録した。
            それは広島市民の原爆の被害者からの叫びです。

            そして今でも広島市民は思う。先の大戦の死は何だったのかと・。!?
            その思いが、先の大戦で死んだ人々の教えと願いではないでしょうか・。 


            信教の自由は原爆で死んだ人々の霊魂。靖国神社の戦士の霊魂。
            信教は全てが平等で合碑祭祀霊の世界は霊魂の自由である。

                         織部