太宰 真 wrote:
> 太宰 真 wrote:
> 
>>わたくしは逆に反対ですね。小さい大きいは何を基準にするかだが、端的にでき
>>る限り大きくあれば良いとさえ思う。ただし、その大きくあるあり方は常に問題
>>とされなければならないでしょうね。国民の優れた目を必要とする。本当に必要
>>であるのならば税金だってとるだけとればよい。本当に必要なものであるのなら
>>ば致し方ないことではないか。そしてその税金ぶんは何がしかの形で国民に返還
>>する心構えがなくてはならない。
> 
> 
> 日本なんて実にいい国ですぞ。政治家は皆去勢されたようにビクビクして「国
> 民」の顔色ばかりを伺っている。悪いのは無知な「国民」だけだ。その無知な国
> 民が悪政をもたらしているのです。この無知な国民にも政治が正しく見えるよう
> にするためにはどうすればよいか。勉強によっては不可。頭が悪い以上勉強は不
> 向き。ではどうするか。
> 
> 多額の税金を納めるようになれば話は別なのではないかと思う。自分のこととし
> て真剣に関心を持たざるを得なくなる。話は飛ぶかもしれないが、わたくしは日
> 本国のあり方は「大きな政府」でなければならないと思う。国民はたくさんの税
> 金を納めはするがその代わり多くのサービスを求め要求することのできる国、そ
> れが日本国にはふさわしいのではないか。この考え方は今まさに流行になってい
> る考えとは逆さまである。

世間での流行の台詞の余勢をかって「小さい政府」を論ずる者は、自己の政治能
力の限界を意識している政治家かあるいはただ「はやり」だけを追う何にも自ら
のしかとした考えを構築できないでもがいている論者ではないのか。

それは大きな政府を目指すからには金はかかる。当たり前のことだ。しかしこの
当たり前のことは国家生活の進歩形態でもある事を忘れてはならない。何もしな
い政府、ただ名前だけの政府が存在する状態というものを考えてみたまえ。これ
を「原始国家」と呼ぶならばこの原始国家は実際は何を「意図して」存在したか
は置くとして、この原始国家に意味を与えて自然状態の人間に有用性のあるもの
として色付けを与えてきたのが人間歴史の進歩過程であったのではないのか。

国家を地方と中央とを分けるというのではなく、ただ「小さい政府」を言うのは
初期資本主義が国家というものの意義を論じたときにたまたまの「思いつき」で
語ったものである。こんなものに現代国家である日本国が郷愁を持つことがおか
しいのであって、後退であることの何者でも無く、無能な政治家に大義名分を与
えるものでしかない。君らはこのような責任逃れの政治家を許容しようとしている。

なお、谷村氏の言う自由主義・社会主義は大きな政府小さな政府とは無関係であ
る。年金問題にしても国が国民年金制度を保持するかどうかはその有用性自体と
それが他に与える影響を勘案して取捨選択をすべきであって、大きな政府だから
それを拾う必要があるということにはならない。yamが嘗て税金逃れのためだけ
で「小さな政府」を語るのはおかしいと言っていたがこれは正しい。

思索すべきは、はいかに苦しくとも大きな政府を維持してゆけるか、如何に大き
な国家を維持するかが国家生活の目標でなければならないのであって、小さい政
府にすることなどは本来持つべき課題を放棄するものであることの何モノでも無
い。原始国家に逆戻りすることの弊害が社会生活のいたるところにポツポツと現
れ始めてからではもう遅い。今まさに国民の将来に向けた知恵が問われている。

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太宰 真@URAWA