≪背景に拝金主義と無宗教≫
 中国の歴史・経済学者、何清漣女史は著作『中国現代化の落とし穴』で、実例を挙げて中国の不正横行を指弾しているが、長距離バスでさえ、途中で運行を停止し、乗車賃の値上げを要求し、高額の食事代まで強要するそうだ。
 私は、この不正の横行と拝金主義は共産主義唯物史観による気がする。日本では仏教は退廃したが、生活信条としては生き残っている。武士道も形を変えて職場倫理として生きている。日本人の自殺志向の強さは世界一で困ったものだが、どこかで『葉隠』あたりの死生観を受け継いでいるのだろう。
 共産主義は宗教を認めず、その絶滅さえはかろうとする。中国の現指導者、胡錦濤主席が出世へのきっかけをつかんだのは、チベットにおけるラマ教(チベット仏教)弾圧で功を成したからとされている。この時、百万人以上のラマ教徒が死亡したといわれている。中国が汚職まみれの拝金国家に成り下がったのは、この宗教絶滅政策にありはしないか。
 仏教徒が大半のタイや、カトリック教徒が90%のフィリピンが、とにかくモラルを維持しているのとは、大きく異なっている。日本理解が足りない駐日大使にはお引き取りを願いたいものだ。(ふかだ ゆうすけ)
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この中国の政治社会の解説は全く誤っている。
無宗教の部分は当然・その通りである。しかし・・・
儒学は哲学の学問的な分野である。その学問の根源に・学問的な易学がある。
この支邦古来の易学は、現在の西洋の社会心理学の上位にある。西洋では・・
支邦古来の易学を解明する無能力を内示していない。(三国史)
この易学は、日本語の「御利益ゴリエキ」神社仏閣で通称言われて要る言葉。
この言葉が「拝金主義」である。即ち、御利益主義である。しかし・・・
御利益は、日本国でも宗教的な業事で用いられる。政教一体の理念。
中国に於いては、儒学と政教一体の辞気に為るのである。
即ち、儒学は宗教か学問か。日本人でも混乱しています。そうです・・・
この混在化して要る学問の根底に支邦古来の易学が存在して要るのである。
従って、中国では無宗教か・宗教家の判断が付かない易学的社会心理学が存在して要るのである。
   
   一旦 筆を収めます。
              織部