池田大作「人間革命」は明確に政治論であります。決して、一般社会に向けられ
た社会生活の知恵として語られたものではない。

マルクスは所与の社会に於ける人間を変えずにそれを取り巻く社会にシステムに
着眼した。池田大作はとりあえずはマルクスにヒントを得、資本主義が高度に発
達すれば必然的にそこに歪が生じ、のっぴきならない状態になるとまでは読ん
だ。この辺までは立場の違いこそあれ、共産主義と歩調を保っていたと言える。

しかし、次からは違う。それには共産主義の大儀が遅々として進まず、実行され
てないところに疑いを挟む余地在りとしえたことも彼の考えを進めるに追い風と
なったことも確かであろう。そして、彼はその共産主義の低迷の原因を人間を変
えずにそれを取り巻く社会システムの方を変えようとするところにあると見た。
これは自己の信奉する宗教、すなわち、創価学会とも親しみを持つ。彼はやが
て、社会が人間に適合的であると言うことは人間が社会に適合的であることと同
じことではないか、それならば目指すはなにもマルクスである必要は無く、自分
自身であると。

これはじつは決して反マルクスではない。なぜか?この池田の考えは、社会でう
ごめく人間から見たときには極めて消極過ぎ、且つ、内容は全く逆さまである
が、思考項目が極めて同じだからであります。すなわち、

       (1)人間を外に向けては消極的存在と捉え、内に向けてのみ積
          極的存在と捉える
       (2)人間個々の忍従物語であり、
       (3)究極的な政治構造は一党独裁、

これの詳しい理由は読者諸兄にお任せいたしましょう。

実はわたくしはこの池田の考えには必ずしも反対を唱えるつもりはない。どんな
政治制度にも欠点が必ずあるとする立場に立ったときには、極めて消極的ながら
むしろ賛意を評したいくらいであります。しかしどうも引っかかる。

        結局は、人間の幸福はその人間の心の中にある

果たしてこれで十分なのであろうか。勿論、この「人間革命」も高度に発達しす
ぎた資本主義、さらにはそのアンチテーゼである共産主義をも既に経過している
ことが前提となっている。はてさて。

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太宰 真@URAWA