この「日本の政党」と題するタイトルは広きに失する嫌いがある。
そこで、「自民党は最も日本人好みの政党である」、という観点
から一筆啓上致すもの也。

過去に於ける社会党、民社党、勿論共産党も、それらと自民
党はどうゆう関係であったのであろうか。テレビ等では話の端
々では尊重しているかのようなそぶりは見せつつも、実際と成
ると、喧嘩相手か無視するにしか値しない政党として相手を見
てきて今日に至っている。細川氏に政権を譲ったときでさえ未
だこの性格は変わっていなかった。その証拠に思っても無い河
野氏をわざと総裁に据えたりもしたのがその証拠であります。
自民党は初めから他政党を尊重し、政策や考えの一部でも同
意できる点があればそれを同じ政治家あるいは政治家集団と
して認めるというような事はしなかった。

では、政治的な意見は時として異なる場合があるにせよ、お互
いを尊重しあい、それでいて立場の違いを意識する相手=政
党とは一体どこだったのであろうか。それは同じ自民党内での
それぞれの派閥であった。要するに、同じ自民党と名の付く政
党が多数存在し、其れが小政党の役割を果たしていた。言い
換えると、大きな自民党内部で政党政治が既に完結していた
のであります。故に、社会党、民社党、共産党などは勿論自民
党の眼中からは遥か遠いところに在った。別の言い方をすれ
ば、この長い期間は日本は自民党の一党独裁の国であり、社
会党、民社党、勿論共産党などは、自民党が国民を騙すため
の材料でしかなかった。実際は、同じ「自由民主党」として括れ
るところの少数党の乱立国家だったのであります。

このシステムの利点(皮肉でありますが)は何か。其れは、

   (1)少数党=派閥がいつも与党の立場でいられる
   (2)したがって相手を尊重できる余裕が持てるだけ
     でなく、気心が知れた同質の仲間という安心感
     がある
   (3)馬鹿でも政治ができる(自信がもてる)

ではなかったかと思う。この政治家の気質は勿論独特の日本
国民の気質でもあるわけなのです。全てはその責任は国民に
帰する、とする事も可能ではあろうが、そうとばかりを言って済
ませられるものではない。なぜならば、このような性格は戦後
に始まった事だからであります。

政党に関する見識の薄さは、ただ一般の日本国民を非難す
る材料とするのは間違いで、研究者、特に法学的観点からす
る研究の遅れを指摘しないではいられない。基本=基礎理
論から練り上げた研究成果がほとんど見られない事が何より
の原因ではないかとわたくしは考える。ここfjを見ても明らか
なように、不思議と、国民自らは考究でき難い問題でもあるわ
けで、専門家の知見が先導すべき分野なのであります。何か
おかしいおかしいと思いつつも次がでてこない、日本におけ
る政党の問題と言うのはそういうものなのではあるまいか。

一つ、この辺で安井@東大氏にご登場願いたいものでありま
す。

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太宰 真@URAWA