まず、大前提として、討議拘束を「契約」の一種と考えてはばからない者
に対して。たんなる契約ならば、それへの違反は損害賠償に過ぎない。
逆から言えば、たんなる損害賠償で済ませられる程度のものであるから
「契約」なのであります。そんなもので済ませられない場合にも「契約」だ
といって押し捲る考えは既に語るにおちていることを知らねばなるまい。
尚、契約の性質も存在すること自体を否定するものではない。

さて、もう直ぐ選挙が始まりますが、このとき、国民は自己の選んだ議員
が当選回数が少ないためにより回数の多い議員よりは政治の表舞台に
立ちにくくとも致し方がない、などということを了承して票を入れるのだろ
うか。また、どの党に属する議員候補に投票しているかは分っているの
がほとんどであろうが、このとき、選挙民はその議員候補たる人物の顔
が「党議拘束」の面と「マニュヘスト」だけの面をしているだけで議員の人
物像は果たして背後に押しやられているものとして投票しているのであ
ろうか?

ところで、政党は政治的マニュヘストを掲げて選挙戦を戦うのを国民は
期待しているとしよう。もし、各々の議員が自己が全国民の代表だとして
自己の所属する政党が掲げるマニュヘストどおりの行動は取らなかった
が故にマニュヘストを信じていた選挙民は不利益を蒙ったときの対処法
にはどんなものがあるだろうか。党義拘束の場合も同じことであります。

結論を言おう。各々の政党は憲法が期待する議員の行動を自己の団体
性維持のために規制もしくは不利に扱ったり除名したりというようなことは
できないものと考える。つまり、憲法的バックアップを持たない政党には
その様な権限はない。全ては「損害賠償」と事後の国民の政治的判断に
委ねられていると解すべきであります。つまり、次回の選挙では政党と当
該議員とのありようをも判断の材料にいれて再選さすべきか否かを国民
の判断に委ねるとするものであります。

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太宰 真@URAWA