日本には強いリーダーシップをもつ存在など不要だ、とする議論がある。
なるほど、そうかも知れない。いずれにせよ、当時の天皇ほどの存在に
はなりはしないのだから。

ところで、政党政治を前提とする議会制民主主義は、日本では国民にと
ってうまく機能する政治機構なのだろうか。現在のところ、国民の間にも
このことを疑う者はほとんど存在しない。疑うにはイギリスg改正民主主
義の存在がネックになっているのかどうか、、、。

もう国民がスッカリ忘れ去っているかの金権政治。政党の金集めの問題。
金で政治が動いた忌まわしき過去(今も相変らずか)。これらは、実は、
全て、日本における政党政治を前提とする議会制民主主義がもたらした
ものなのだということに未だ気付いていない。田中角栄が悪かった、誰そ
れが悪かった、この程度。田中角栄について言えば、かれは優秀な政治
家であって、日本の議会制民主主義をだれよりも正しく知っていたと言う
だけ。ならば、田中角栄を問題とするのではなく、日本の議会制民主主
義を問題とすべきなのである。

国民性からして、日本には政党を前提とする議会制民主主義は相応しく
ないのではないか。いっそのこと、日本国民がつよいリーダーなど欲して
いないとする、「大統領制」の方が現在あるいは将来の国民にとっては有
意義なのではないか。少なくとも、我関せずの政治を身近に感ずるよう
には成るであろう。強いリーダーを求めないからこそ却ってうまくいくかも
しれない。

わたくしは、憲法を改正して大統領制にすべきだと思う。最近、国民の
「責任」が意識されはじめたのには理由がありそうな気がする。「国民の
責任」、それはその通りで、誤りでは決してないのだが、当の国民にその
意識がないのではお話しにならないわけだ。「大統領制」の導入は、国民
の自己責任を強く意識付ける切っ掛けになるやも知れない。

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太宰 真@URAWA