29日日本記者クラブ主宰の党首討論が行なわれた。
 バカげた劇場展開にならなかったのはみっけものであったが、その中であらためて明確になったのは、自民党と自民党政治を私する小泉手法であった。
 私するというのは、この人には自分の我執しかないが、それにあくまで固執して、それをごり押しし、言い逃れ、論点のすり替え、居直り、詭弁でかわそうとする態度である。その主な3点をあげておく。
 第一は、「郵政民営化」問題のすり替え作戦だ。
 小泉総理の作戦は、自分の欠陥だらけの「郵政民営化法案」を誰もが異論を挟めない「民営化」という一般語に摩り替えて、その是非を問うという誤魔化しをやろうとしていることだ。この作戦の本質は選挙民の錯誤を誘う「羊頭狗肉」の誤魔化しだ。
 第二は「いろいろ」発言
 岡田代表の質問につられて、また、「いろいろ」発言が飛び出した。これはかって彼が企業から無勤務給与を受けていた問題で「人生いろいろ、人もいろいろ、会社もいろいろ・・・」と発言して物議をかもした問題だが、悪びれもせず、それを「どこが悪いんだ」と居直り、再び得意げに繰り返してみせたのだ。
 「保険もいろいろ、払うも払わぬもいろいろ」と国民年金保険料を不払いを助長するバカ発言である。それなら「党員もいろいろ、賛否もいろいろ」でも良いではないのか。
 第三は中韓外交の冷え込みと靖国問題だ
 総理の靖国参拝が、対中韓外交を阻害していることが明々白々であるにも拘わらず、 

「中韓との関係は深まっている」などと強弁を弄している態度は、ならず者の開き直り以上である。靖国参拝問題についても「適切に判断」を繰り返すばかりだ。
 自分の非を認めないのも政治手法の一つではあろうが、こうなると、呆れ果てるばかりである。
 顔つき通り、こういうス−パ−クレイジ−な
な首相の支持率が依然として高いというのは、国民は一体どこに目をつけているのかと思わざるを得ないのだ。
 村上新八