Re: 全体責任論は責任の所在を曖昧にするだけで無益(Re: 政党と選択肢)
"大和猛夫" <nippon_hinomoto@yahoo.co.jp> wrote in message
news:CM6Le.64$e52.13@news-virt.s-kddi1.home.ne.jp...
>
> "GON" <gon@mocha.freemail.ne.jp> wrote in message
> news:ddge3c$3kf$1@news511.nifty.com...
>> "yam" <h_yam@h8.dion.ne.jp> wrote in message
> news:ujJKe.45$Sf6.17@news1.dion.ne.jp...
>> >
>> > "kaz hagiwara" <kazhagiwara@yahoo.co.jp> wrote in message
>> > news:3lvuh4F14n1ltU1@individual.net...
> GONが清き一票としての全體責任論を頑なに拒む理由がよく解る。
> 己の利權を守りたいからだらう。
一点のみ。「全體責任論」をかたくなに拒まなかったらどうなるか。
まぁ、全体としての国民が責任を負うべきだということになるんで
しょうね。
しかし、そこまで豪語するのであれば、もう一歩詳細に考えてみ
る必要がある。「全体としての国民」ってなんだ?
(1)有権者か?
(2)未成年者や子供も責任を負うのか?
(3)ここで馬鹿を語っているyam殿は除かれるのか?
(4)大和猛夫氏は責任を負わないのか?
yam殿や大和猛夫氏も「有権者」であるから責任を負うのでしょ
うかね?もし負うとするのであれば、特定の者が負うとする考え
にあーだこーだ言う暇があったら自己の割合的責任を果たす
のが先でしょうな。それもやらずして考えがまずいだのなんだ
のと言って時を稼ぎいずれはうやむやにして一巻の終わりとす
るようなことは現在とその時までを一体としてみたときには
「詭弁」であろう。
自己に責任は帰すると「分かっておきながら」その対応を緩やか
に考えているということは、自己には責任があるとは真剣には
考えてないということ。つまり、「総体としての国民」には責任が
ないと自ら言っているようなものだわな。けっきょく、
yam殿も大和猛夫氏も国民に責任はない
と考えてるってことだわな。
--
太宰 真@URAWA
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
GnuPG Key ID = ECC8A735
GnuPG Key fingerprint = 9BE6 B9E9 55A5 A499 CD51 946E 9BDC 7870 ECC8 A735