人間における時間とは何か
時間と空間は古くから哲学の課題である。
カントは、時間、空間はアプリオリなものであると説いたが、アプリオリなものであると同時に、主観でも客観でもない人間にとっての「与件」なのだ。人間は生まれた途端に時間と空間のなかに放り込まれるのである。
時間は、概念的には、過去、現在、未来に区分されるが、現在は即時に過去に送り込まれてゆくし、未来は即時に現在となり、即過去になるのである。それが時間というものの特性なのだ。
人間は、過去に生きることはできない。現在は瞬間だが、刻々かつ継続的に現在に移り代わって来る未来に生きているのである。
アウグスティヌスは、過去、現在、未来の時の三契機を記憶、直感、期待の三契機に基づかせて時間の主観性を説いているが、これは人間と時間のかかわりを説明しようとしたものに過ぎない。記憶にない過去もあるし、現在と直感が結びつくものでもなく、期待は未来の時間に対してではなく人間の所為への期待だからである。
人間は時間を気にする。腕時計をはめることを忘れて外出した時などは、はめているつもりで、いいつもはめられている腕の場所に無意識のうちに何回も目をやる、といった経験は誰でも持っていると思う。
何故それほど時間が気になるのか。時間を見ようとする時、「今何時か」を漠然と知ろうとするためであることはない。大体の時刻は分かっているからである。それではなにのために時間を見るのか。それは何かをする上で、それまでに残っている時間を見ようとするためである。目的地に着くまでの時間、待ち合わせの時刻までの時間、起床しなければならない時刻までの時間等などである。
つまり、人間は、時間に追われている存在なのである。
と言うと、現役の人間は確かにそうであろうが、リタイヤした人間も時間に追われるのか、と疑問が出るであろう。が、リタイヤした人間も、切り取られていく時間の残りの生涯時間に追われているのである。それは年単位の時間であろうが、時間に変わりはないのである。
人間にとって、過去は選択すべきものである。良い記憶も思い出したくもない記憶もあるのは当然だが、人は現在と未来にしか生きられないのであるのだから、その良し悪しを問わず、将来の行為にプラスになることのみを記憶に残し、あとは消し去ることができる力が大切なのだ。それは人間がよりよく生きようとするための知恵である。
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
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