22日の衆院予算委での小泉総理の答弁は、いつもの「すれ違い答弁」どころか全く支離滅裂であった。
 民主党の岡田代表の「先の日韓首脳会談では全く成果がなかった。韓国とのギクシャクとした関係を総理の任期の来年夏まで続けさせてよいものではない。それを取り除くのが一国の総理としての責任ではないか」と質問した。
 これにに対して、小泉総理は、「日韓摩擦の核心は『靖国参拝問題』ではなく、『両国の将来志向だ』と思っている」と答弁した。
 しかし、韓国のノムヒョン大統領は「靖国が核心問題」だと考えているのだ。だから、それを解きほぐすことこそ日本の総理の役目であるはずである。それをやらないで「おれにはおれの考えがある」「意見が違うのは当たり前」と突っ張るのでは、将来志向もへちまもないのだ。
 「お互いの違いを認めて友好推進を図る」と言っても、相手が、「靖国参拝問題」が友好推進上、基本的な障害になっていると強硬に主張しているのだから、その障害を取り除くべく説得するのが一国の指導者たる者の責務である。それをやらないでおいて、「他国の言うとおりにすることは嫌だ」どタダをこねるのは、あまりに幼児的でもあるし、それこそ「逆に、他国の言うことに拘って突っ張っている」ことにもなるのだ。国益に配慮して自主的に判断した結果が、他国の言うことと一致することは、他国の言う通りになることとは違うのである。
 「小泉氏のツッパリ贔屓」の日本国民も、自民党内の反対派に対する「小泉ツッパリ」と国益に反する外交的な「小泉ツッパリ」とを混同して、国民が小泉支持に回るような愚は猛省すべきである。
 村上新八