ヤスペルスの哲学と神
「現存在」の全体が世界であり、我々の根源性が「実存」である。世界は現象でり、内在に過ぎないが、仮象ではなく動かし難い事実である。これを読み解こうとする諸科学的認識は相対的なもので確実性、真理性をもつものとは言えないし、科学的に体系化しようとしているが出来ないであろう。
われわれ人間は、両親、性別、配偶者など偶然性と運命性を持つ規制のなかに閉じ込められており、それから逃れることが出来ず、更に死すべき存在であり、さまざまな苦悩、負い目、戦いに囲まれるという極限状況におかれている。
人間は、これらを超越しなければならない。その超越には、このような自己の根源に触れること、すなわち「絶対認識」が必要である。
絶対認識の中核をなすものは「愛」「信仰」「幻想」の三つである。これらは極限状況において、その挫折を超越するするための「無制約的行為」に導く媒介機能を果たす「暗号」となり、実存を超えて「包越者」である一者(神)へ超越せしめるものである。
このようにヤスペルスの超越は、世界すなわち実存と挫折からの超越であり、究極的には神への超越であった。彼の「挫折」と「超越」はキルケゴ−ルの「絶望」と「飛躍」に対応するものであろう。
彼の言う「暗号」とはこのような超越を決意させる実存における「潜在的契機」という意味だと思われる。これによって「包越者」である一者すなわち「神」に触れんとする超越を行ない得るのである。
ヤスペルスはハイデッガ−と同時代、年令も10歳とは違わない、同じく実存主義の哲学者であったが、ハイデッガ−が神を追い出したのに対してヤスペルスは神を引き込んだという大きな違いがある。この二人は密接に文通もしていたというが、終生並行線であったであろう。
ハイデッガ−が、究極の救済を「脱自我的な開かれた行動」に求めたのに対してヤスペルスがそれを神に擦り寄ることに求めた、この違いは、唯物論的な「道具関連」認識と一者、神である「包越者」支配認識という世界認識の差に帰すものであろう。
村上新八
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