> 国内法でA級戦犯は存在せず、国際法でもA級戦犯は赦免されている
> と考えることも可能かもしれない。しかし、それは司法での話であっ
> て、政治での扱いはまた別にある。

それはそうでしょうね。
正しいものが常に政治家として当選すすわけではないし、
正しいからと言って常に大衆が支持するわけではありませんからね。

> 東条英樹らは国民を戦場に駆り出したダメ政治家であり、加害者だ。
> 一方、駆り出されて戦場で死んだ国民は被害者だ。
>
> 靖国神社のロジックは国内でも国外でも反発を呼んでいる。小泉純
> 一郎の靖国参拝を取りやめる方がいいという声が、過半数になって
> いる。
>
> 東条英樹らが決定的に間違っていたというコンセンサスこそが、日
> 本で再び徴兵制が始まるのを予防できる。彼らは"戦犯"であり続け
> ることが、国民にとっては利益となるのだよ。

徴兵制の問題は脇に置くとしてですね。
(問題が又別でこれだけでも話は長くなりそう。論点がぼける恐れがありますから。) 


当時の社会情勢と言うか?
あなたのおっしゃる、『まさに大衆の国民感情=政治』がそうさせたものと考えられますね。

当時の国民は戦争で爆撃され大被害にあったわけです。
家は焼かれ、大事な身内も大勢死んだ。
丸裸で焼け出されました。

こんな状態なら?
当然、負ける戦争に踏み切った指導者は八つ裂きにしてもまだ足りない思いでしょう。 

が?
国民はそうしなかった。

どうしてか?

開戦に踏み切る当時、理不尽な英米中国の仕打ちにたいし、
国民の怒りはものすごかったわけでしょう。
『指導者はその怒った国民の声を代弁し、同じ思いて戦った』と言うことだったのでしょう。

『指導者にその責任を擦り付ける事は卑怯だ』と感じざるを得なかったものと思われます。

(ナチズムと言う理屈で開戦を説き敗戦し国民に大被害を出したイタリアのムッソリーニの運命と、ここが違うのでしょうね。

ただし?『軍人たるもの生きて虜囚の辱めを受ける無かれ』と説いたその責任者が、自ら虜囚の辱めを受けたその言行不一致。多くの軍人が弾のないなか、体一つで突撃して国のために命を捨てた現実を見ると?批判はある所と思われます。英雄といえるのかどうか?
ま、そのようなことも全部考慮されて、今のようになっているわけでしょうね。)