ショ−ペンハウエルの哲学と神
意志を認識の優位においたカントにならって、ショ−ペンハウエルも意志を知性や認識能力の上に位置づけて、知性は意志の僕であるとし、時間、空間は個別のもの事物を区別いる認識の形式であり、「固体化の原理に他ならないとした。
意志が目標に達することが「満足」であり、目標と意志の間に阻害があって、医師が阻害されることが「苦悩」である。「満足」は一瞬のことであるばかりか、それは次の目標への努力の始まりとなり、目標達成はますます難しくなり、苦悩はますます強く、繰り返されることになる。これが人間の宿命である「盲目的生存意志」である。
このように、人類は、本性から決定的に悲惨と没落とに定められている。たとい国家が不正を除去したとしても、必ず人間は退屈から喧嘩をおっぱじめ、互いに攻撃するか、人口過剰から飢餓をもたらし、人口を一掃させることになる。
このような人間を神は助けてくれるか、否である。この世は神が造ったというが、それはウソだ。造ったのは悪魔だ。凶作、ペスト、飢餓、飢饉などの世界の禍悪が原始の未開人の心に神の信仰を生ぜしめたのである。
ショ−ペンハウエルは、神の観念が生得的であることも否定する。「人格神は教え込まれた結果だ。こどもの神などということを教えないようにすれば、彼は神のことなど決して考えはしない」「世界は悲哀、窮乏、禍災に満ち満ちて、病気だの戦争だのペストだのが猛威を振るっているのに、相も変わらず全智だ大慈大悲だと馬鹿げた文句を並べているのだ」
人間を救う道は生存への煩悩を捨て去り意志を虚無の状態に復帰させることしかない。それはウバニシャドの仏教が教えるところである。
こうして、神を追い出し、意志が存在させた理性によって、人間の生の実態を把握し、その煩悩の谷から抜け出ることしか心の平穏、安息はない、と唱えたのは卓見である。
村上新八
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
GnuPG Key ID = ECC8A735
GnuPG Key fingerprint = 9BE6 B9E9 55A5 A499 CD51 946E 9BDC 7870 ECC8 A735