哲学書というものは一般に難解である。表象だの悟性だの言葉自体も分かりにくいが文章表現が、また分かりにくい。例を挙げよう。ショ−ペンハウエルの「意思と表象としての世界」第4巻第65節のセンテンス2例である。
 「なんらかの形で発現している意思に的確に合って、意思の目的を満たしているようなこと」「一つの客観的な意思がなんらかの一定の努力に適合しているのが善である」
 これは「善」、ここでは「われわれにとって善いことという程度の意味の善」についての定義の記述である。これを言い換えれば「我々が欲している通りになっていること」ということに過ぎないのだ。もう1例
「彼は自分の意思の現実的な知覚された満足を、認識によって差し出される単なる可能的な満足と、たえず対比して測定するのである。嫉妬、羨望はこれに起因する。」
 これは嫉妬や羨望の心理プロセスを述べている記述である。これを言い換えれば、「嫉妬や羨望は、自分が得ている満足度と他人のそれを、想像し、比較することから起こる」ということなのである。
 ショ−ペンハウエルは他の哲学者に比べれば、分かり易く記述するほうだが、それにしてもこの通りである。衒学的言辞と文章を操るのが哲学者の資格のようである。自分の考えを分かり易く表現できないのは考えが未消化だからだ、という人もあるが。
 村上新八