カントは、神の理念について、「神が存在するということは、道徳的に確実だということではなくて、それを道徳上確信しているということに過ぎない」と言っている。つまり、神がいる、いないに拘わらず、信じるだけということである。
 だから、いろいろな神の存在証明にもカントは反論を加えている。
 「本体論的証明」では、神はこれ以上のものが考えられない尤も完全なものであるから、もし神が単にわれわれの思考のなかだけで、実際には存在しないというのでは、完全なものとは言えなくなるというのだ。
 それに対して、カントは「神が実在的な存在と信じることは差し支えないが、経験を超えて必然的な存在者を推論するのは誤りである」と反論している。
 また「宇宙論的証明」では、自然界における因果関係をさかのぼっていくと、最終的には、その第一原因である神にたどり着くことになるから、その存在は否定できない、という。カントは、これは基本的には「本体論的証明」と同じだと述べている。
 最後に「目的論的証明」は、神がいないにしては世界はあまりにも合理的にできている。このような合理的な世界を創造できるのは神しかいないと考えるのが当然だ、という説である。これは、ダ−ウインの進化論を知らない人には、最も説得力のある説明ではあると思う。
 これに対しては、カントは、目的論→宇宙論→本体論の堂々巡りだと批判している。 

 こうしてカントは、「神の存在」については不可知論を貫いているのである。
 村上新八